ゆりしぐさ ~百合漫画の表紙の構図にパターンを見出す~

百合漫画の整頓をしていたら構図にある程度のパターンが見出されたので書き出してみることにしました。


百合漫画といっても所持しているタイトルに限られるし整頓中に気付いたいくつかの手近なものを並べた感じなので、もっときちんと並べてみれば更に多くのパターンが見出されるかもしれませんが。


暇なので――暇ではないのだが――百合漫画の表紙に類似性の見られる冊子を並べてタイトルをつけて語ってみました。

 

パターン1:頬を挟んでいる

すごく百合らしい雰囲気になるのがこの表紙。おかしくない? やばくない? やばい…尊い…という一気に理性を奪われるこの雰囲気の理由を考えてみました。

まず何故か一目で百合とわかってしまう。

何故なら女子が女子の頬を挟んで一方を注視しているから。

そして両手の掌を頬に置くという時点でもうそれは二人の距離感のなさを決定付けています。

画像で見て頂きたいです。

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一方の女性が一方の女性の頬を挟むことによって生まれる場の雰囲気には若干恋愛だけではない支配的なテイストが加わるように見受けられます。
頬を挟まれる側の女性の表情に注視してください。
喜怒哀楽の感情が如実に表現されています。

つまりその放埓さの前提として相手への信頼感情、安心できる存在として認識しているがための気の許しを感じさせる構図です。
ここに示した漫画も相手との秘密を共有するストーリーが多く、秘密の共有や、それから生まれるちょっとした上下関係からこの構図が導き出されたのかもしれません。

このパターンから想起される関係は「信頼」「愛着」といった対等性であるように思われます。名付けるなら「君が好き」とでもいいましょうか。


男女の恋愛ものであれば「顎クイ」とか「壁ドン」とかに匹敵する仕草でしょうか。
この「両手のひら頬挟み」あるいは「頬挟み」は「百合しぐさ」としてどんどんやっていきをしてほしい表現のひとつです。
画像には収めていませんが「やがて君になる」第一巻表紙もこのパターンを踏襲しながら嵌りきっていないという点が頭ひとつ抜けています。そのあたりはまた余地があるときにでも別項で。

 
パターン2:宙に浮く

浮く。浮いちゃってる。片方の女性が浮いているパターンです。なんかもう…何? この…片方が浮いていることによってファンタスティックな女神感が醸しだされて求める理想がここにあるみたいなこの神聖な二人の領域には誰も入れませんみたいな。画像をごらんください。

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片方が浮いているといってもさまざまなパターンがあります。「さよならフォークロア」においては浮いている上にあすなろ抱き
その上で「さよなら」ときているのでいかにも儚い百合といったイメージですが彼女たちが離別を告げている相手は古い慣習です。自ずからの関係性ではなく。それを思うとこの「浮遊」の表紙には古さとの乖離、伝統への革命宣言的な潔さも感じられます。
「ふたりべや」「オンリー☆ユー ~あなたと私の二人ぼっち計画~」に至ってはもう相手の懐に飛び込んでしまっています。浮くどころじゃない、飛び込み
近年の百合姫作品においては出色の「明日、きみに会えたら」では鏡越しに手をあわせて浮いているという複雑な構図です。これはタイムリープを生かしたパラレルワールドもの、という物語の枠組みをよくあらわした構図とも言えるでしょう。
「明日きみ」は複雑な設定のうちに同一キャラクターを様々な関係性の枠組みにおかせることで多彩な表情を見せるという巧妙な仕掛けに成功しています。表紙にもこれくらいの情報量が適しているといえます。
「浮遊」の表紙は少女の幻想性を表現する時に適しており、その位置関係によって彼女たちの関係性も予想できます。好き。このパターンは「蝶々」と名付けたいです。勝手に。画像には納めておりませんが名作「終電にはかえします」もこのパターンで、乖離と飛び込みを程よく備えています。ケースの奥にしまっているのですが出してくるのが大変だったのでちょっと画像にお納めできていませんが…うん…そういうこともあります。ブログなのでそのへんはお許し願います。暇をみつけて差し替えます。

この要素に気付くと登場する主要人物の年齢の高い百合の代表作に「寝転んでいる構図」が多いことも自然だと感じられてきます(「私を私の世界を構成する塵のような何か。」や「2DK、Gペン、目覚まし時計。」等)

 

パターン3:挙式している
はい、こちらの画像をごらんください。

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ご成婚おめでとうございます。
もう結婚している。結婚しているんです。結婚しているんですよ。
もうこれ…わかります? 私にはわからない。尊すぎて意味がわからない。でもわかる。理解はできている。でもわからない…尊すぎて理解が及ばない領域…何この神々しい…涙がとまらない…ありがとうございます…。
おめでとうございます。心よりお祝い申上げます。
画像には収めていませんが「純粋アドレッセンス 完全版」もこのパターンです。ケースの奥にしまっていて以下略…。今回はあくまで整頓していて気付きをえた本を並べただけだったのでご容赦頂けましたら。
偶々ですが、ここに並べた加瀬さん。の表紙は「ひらり、」最終巻で、「明日きみ」も最終巻である二巻の表紙です。共にちょっと露出度が高い。大人の事情でしょうか。
とにかくおめでとうございます。名付けるなら「挙式」。挙式という形式で最終形態という記念式典的な雰囲気を醸している点でどこか大衆性が生じています。冠婚葬祭ですから、結婚するとなるとそれはもう閉じた世界ではない、恋愛よりも一歩先の何かを感じさせます。何も言うことなどないこの表紙ですが、敢えて気付いたことを加えておきます。
かつて最終形態が「挙式」とされていたのはかつては少女漫画のパターンだったんです。少女・乙女にとってはどうやら結婚が人生の最終課題で夢とされていたのがかつての少女漫画でした。その夢が平成に入ったあたりから時代やらケータイ小説やら様々なものによって破壊されて、昨今の少女漫画でのハッピーエンドは必ずしも「最終形態が結婚」ではなくなっています。その伝統や枠組みが百合漫画の萌芽時代に受け継がれていた気もします。百合であることによってその枠組みが新鮮に感じられる伝統的恋愛表現は他にもありそうな気がするので、どんどんやっていきをしてほしいものです。
余談ですが、一方で「結婚」を最終地点としない、あるいはそれを起点とする漫画(「月が綺麗ですね」「ふ~ふ」等)もあります。どちらも好きです。

 

パターン4:並んで寝ている
よく作中の人物の目線が読者に向いているか、互いに向いているかどうかが百合では肝心という話を見聞きします。さておき、並んで寝ている構図も結構ありました。

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体も正面に向いていて目線もこちらに向けられていても二人が手をつないでいたり髪にふれあっている、という身体接触の要素があるだけでこの構図は百合ではないでしょうか。互いの所有性を誇っているように見られる。「少女セクト」と「ひらり、」2012年夏のvol.8。「ひらり、」表紙は袴田めら先生作です。表紙に表現されている少女二人は巻頭漫画の「花と稲妻」の人物。性質も外見も正反対な二人が仲良くなるお話です。一方の「少女セクト」も主軸となるこの表紙の二人はまったく別の外見と性質の主です。
全く二人の性質を有する少女が接触を示している、そしてこちらに目線を向けている。これはけして読者を意識した目線というわけではなく、彼女たちの所属する組織やグループのうちから抜け出す過程の宣誓的な目線ではないでしょうか。手をつなぐことは所有だけではなく脱出のための手つなぎ、共存性といったものを感じさせます。単なる依存ではなく勇気のある触れあい、未知なる存在への認識。そうしたわけで浮遊とは全く逆の実在性、リアリティがこの構図にはこもっています。肉欲を描いている「少女セクト」がこの構図に落ち着いているのも不思議ではない正面からの描写なのです。好き。

名付けるとするなら「聖域」とでもいいましょうか。二人の間には作中の邪魔者はおろか読者も何者をも入れません。

 

他にも色々なパティーンや、これを踏まえた別枠や、このパティーンにはこれがはまる! といったものがありそうな気がしますが虫干しの合間に気付いたことなので今回はこのへんで。

今回はパターンの話でしたが、単にこの表紙が好き! というタイトルの話もしてみたいなあ。「月と泥」とか。

百合展細見

東京開催の百合展2018に行って来ました。

そして記事を書かせていただきました。その際に未掲載となった作品案内のテキストここに記録しておきます。ちなみに文体が掲載時とちょっと違います。だ・である調です。五十音順です。

media.comicspace.jp

天乃咲哉先生の展示はアニメ化もされた『このはな綺譚』。和風でファンタジックで獣耳という堪らない設定のなかに百合が踊る安心の作品。とにかく柚の可愛らしさが伝わる作品展示に目尻が下がる。 

○江島絵理先生の『柚子森さん』からは美麗イラストがふんだんに展示されている。明るい未来を予感させる完結を迎えたばかりで、小学生の柚子森さんの思い出をなぞっているかのよう。 

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○川浪いずみ先生の『籠の少女は恋をする』は辛辣な目的のもとに設立された学校の悲劇的な百合が見所。一見、性的なテーマを扱っているようにも見えるがその設定に於いて築かれるものが単なる恋ではなく純粋な友情やその絆である点が新しい。シリアスな場面の多い展開の中でもどきっとする原画の展示に足がとまる。 

○tMnR先生の『たとえとどかぬ糸だとしても』は兄の配偶者である女性への恋心にその婚姻の場で気が付くという、失望から始まる物語で百合ジャンルを超えて話題。主人公のウタに常識があるだけにその苦悩が痛ましい。鮮やかな筆致の原画展示は是非とも見ておこう。 

西尾雄太先生の『アフターアワーズ』はこれまでにない新感覚のクラブを舞台とした百合マンガ。主人公のエミはケイという女性と知り合い、その夜のうちに仲睦まじくなりそのまま一線を越える。性別へのこだわりなく踏み越える二人の絆は独特で格好いい。『百合展2017』では特別参加だったが今回からの正式参加に思わず喝采を送りたくなる。 

平尾アウリ先生の『推しが武道館いってくれたら死ぬ』は地下アイドルオタのえりぴよという立派な成人女性と彼女が魂と主にお金を捧ぐアイドル舞菜の相互片思いマンガ。百合という観点からみるとえりぴよよりも舞奈の業が深いのがポイント。安定のCamJam百合メンバー眞妃とゆめりのデート場面原画はありがたく尊い。 

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○文尾文先生の『私は君を泣かせたい』は純情ヤンキー虎島ハナと仮面優等生相沢羊の距離感が絶妙な百合マンガ。畏れていたヤンキーの涙腺が決壊する瞬間を見てしまった羊がさらりとSな素顔をさらけ出す瞬間が良い。ヤンキーという種族と百合の親和性は高く胸に刺さるだけでなくストーリーのテンポが心地よい。一喜一憂の機微も上質だ。展示ではまさにハナの泣き顔をじっくり見られるありがたさ。 

 

○南方純先生の展示は描きおろしのカラーイラスト。フルーツやスイーツをモチーフに対照的な漆黒と純白の少女二人が回転するように指を絡めている。それはもう、実質……。なんと表すかは控えるが見ておかなければ損をする。また百合展専用のPOPに至ってはファン必見のリドル尽くしだ。

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○未幡先生の『私の百合はお仕事です!』は「リーベ女学園」という百合な設定を前提としたコンセプトカフェで働く女子高生・白木陽芽が主人公。演じるべき役割と矛盾した人間関係やその人物たちの本質を赤裸々に綴り、ポーズとしての百合場面が映える一方で透かされる本心から目が離せない。華やかな絵柄で今回から晴れて参加の原画は目に焼き付けておきたい。 

 

○雪子先生の『ふたりべや』の登場はひとつのエポックメイキングだった。しっかり者の桜子が美少女かすみと同居するコメディ・ストーリーだが、ほのぼのした雰囲気のうちにたまに垣間見える桜子のかすみへの独占欲が完全に百合。愛や恋も超越して既に成婚しているとしか思えない二人の日常をいつまでも見ていたい。展示はコミックス表紙のイラストもあり鮮やかな色使いを直に拝める。 

吉富昭仁先生の『リリィシステム』の立ち上がりは『百合展2016』より百合展用に製作されたイラストシリーズ。吉冨先生といえば数ある百合アンソロジーでフェティッシュな関係性の百合を描き出しているありがたい存在。SFな百合好きにはたまらない世界観は、他の追随を許さない画力があってこそ。原画の精緻な美しさを是非鑑賞しておこう。 


○『エクレア あなたに響く百合アンソロジー』からはU35先生、川浪いずみ先生、缶乃先生、 北尾タキ先生、仲谷鳰先生、ヒロイチ先生、 結川カズノ先生の原画が展示されており、エクレアのハイライト場面が集結している。 

○百合コミック誌『ガレット』からは竹宮ジン先生と袴田めら先生の作品が展示されており見た瞬間に嬉しさが募る。竹宮先生の鮮やかな描線が描き出す凛々しさとシリアスな迫力と、時にコミカルなテンポで表現される大衆性。 袴田先生の恬淡とした雰囲気のうちに切実な情愛を抽出する作風。やとさきはる先生や寄田みゆき先生などガレット連載陣のポップも愛しく、確実に百合展にきてよかったと思えるエリアだ。

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○『ガレット』でもお馴染みの高橋みのり先生の作品は中間色で鮮やかに彩られた少女たちの自然な触れ合う姿が素敵だ。少女性をまっすぐに見つめ、自然な雰囲気のうちに寄り添う被写体は本当にその中で互いを想いあっているように映える。 

○美少女撮影活動チーム「Albina Albina」の作品群はリボンやレースをふんだんにあしらった少女マンガの世界のような雰囲気の少女たち。そっと寄り添う姿が幻想的でたまらなく愛しい。童話のような世界観でずっと見ていられる。 

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前年の「百合展2017」では15名の作家が参加していた。「百合展2018」ではその倍となる30名の作家が参加している。つまり2019年は60名、2020年には120名となることも推測される。やがて会場は国際展示場に飽き足らず世界を多い惑星を覆いつくすことであろう。
百合はまるで星の間に星座を見出すようなもの。星はもの言わず静かにそこに瞬いている。自らにとって素敵なものをただ求めよう。
そこには自分だけの星が見付かるだろう。

 

以上です。

取材目当てで行くとゆっくり見られないというか、どうしても色々考えながらばたばたするので、明日のコミティアで再度鑑賞したい。青山のスタジオはほんとにロケーションがよかったです。

 

「読者」に知性は必要ない

出版不況という話を聞くたびにそれは売る側の話題でしょ、と思う。
供給側の赤だとか黒だとかいう話を聞かされても出版社のせいだと思っていた。
文学はとっくに死んでいる。芥川賞も小説講座の広告看板にされてしまう世の中だ。
今では文学賞の受賞作はむしろ普段本を読まない人の読み物、という印象すらある。

文化庁の『平成 25 年度「国語に関する世論調査」の結果の概要』によると月に一冊も本を読まない人の割合は調査対象のうち47.5%。
その『非読書人口』のうち本を今後も読みたいと思わない人は44.7%もいるそうだ。総務省統計局の統計で平成25年度の人口は127.298.000人。つまり平成25年度の時点で約6千万人の人が本を読まない。更にそのうち約2千7百万人が今後も読まない非読書人層(?)にあたる。
読書をしない、これからもしない層について、これが若い人ならまだいい。
けれども同調査の結果で本を読まない層が多いのは七十代以上。非読書層の六割を占めている。

意外にも二十代と四十代の読書者人口は多い。
若者の読書離れと言われるけれども、考えれば自然なことながら老年層の方が本を読まない。
当たり前だ。実際に老化が進むと読書自体が困難になる。
自分も明らかに今四十代に至って「初老」という言葉が実感されるくらいに年をとるほどに読書に対する体力も集中力も落ちてくる。
だから焦燥を感じてあれもこれも読まなければと積んでいる本がたくさんある。典型的だ。実際七十代に至ってこれから読書量を増やしたい、なんて思えるかどうか。
どちらかというと人と話をして綺麗なものを見ておいしいものを食べたくなるのではなかろうか。読書なんて孤独な趣味とは縁薄くなっていくのではないだろうか。

平成25年度の四十代の読書人口が多いのは単に人口の多さのせいだろうか。
二十代の読書者の層はいっそ人口に対する割合が高いようにも思える。
あくまでも印象の話だし、数の話は苦手だけれども。

つまりは年をとるほどに読書そのものが困難になるのは当たり前の話だ。
けれどもこの国では高齢化が進んでいる。5年前の古いデータを前に何を詮議しているのか、と思われるかもしれないけれども、読書人口について公的な調査がされたもっと新しいデータを探しても見付からなかったのだ。数の話は例えにすぎない。

人って一生のうちに本当にそんなに本を読むものだろうか。
ふとそう思って調べてみたのだ。

 

働きに出るようになってしばらくは書店勤務だったから周囲に本の話をする人はいた。けれど職場を転々とするうちに平生から本を読んでいる人をあまり見かけなくなった。もしかしたら読んでいるのかもしれないが、恒常的に読んでいる人は少ない。

ところで気になるのは先の統計がラノベや漫画を読書に数えているかどうかということ。本が売れないというけれど、本を読む人が減っているのだから仕方ない気もする。ただ、実際に読む人は減っていても作品を作る人は増えているように思う。
創作者増加の背景にインターネットの貢献度は高いだろう。
同人誌即売会だって年に一回や二回だった三十年前とは違い、週末になると各地方の公共施設や商業施設を借りて色々な即売会が開催される。
個人的には同人誌だって漫画だって読んだらそれは充分読書に数えていいと思う。
今、書籍にはライバルがたくさんある。
昔、新聞のライバルはテレビと言われたが、新聞はテレビの風潮をうまく取り入れることで生き残ったという話がある。同じように今の文芸は漫画を取り込んで生きようとしているようにも見える。


書籍のライバルはインターネットだろう。電子書籍という意味ではない。ウェブ上には活字も絵も映像もゲームも溢れている。VRなんて技術もできた。

活字や漫画などの創作物が書籍にいたるには審査が必要だが、ウェブには審査がない。審査と言うのは編集者などのプロフェッショナルの目、という意味だ。
ちなみにこの話は編集者不要論の記事ではない。出版社のしくみがインターネットに追いつかない、という話だ。出版社とインターネットの関係は、現代の宇宙開発の流れに共通点がある気もする。例えばNASAでは国家プロジェクトのスケジュールが何年も何十年も先まで組まれているけれども、その間にも民間の大学や企業では最新技術が生まれて少数精鋭で資金繰りさえどうにかなれば前進するので、その効能は場合によっては大きな宇宙開発局よりも早くあらわれる、というような。
つまりは開発局は鈍重だ…とは思わない。その重さがなければ果たせないプロジェクトも採取できない正確な統計ももちろんたくさんあるのだから開発局が不要ということはありえない。

ただ出版の在り方が変ってきているのは確かであろう。
近頃SNSで「新しい漫画の単行本が出版された時に最初の一週間の売り上げが大事だ」と言う話が出回っている。消費者側への責任転嫁であって、編集者がその作品を切るときに本当にそんなことを言うのだろうか。けれども実際数字がなければ会社は成り立たないので、ある程度は事実なのだろう。

けれど、その本の売れるまでにその本は需要のある人に需要のあるタイミングで届いているのだろうか。ある書店に勤務していて目にした風景のひとつとして、例えば本を50部発注したのに届いたのが5部だった、ということもあった。そこで本が全て売れたとして、残りの45部はどこへ届けられたのか。

ある書店では、新刊を発注したけれども一部も届かなかったということもあるだろう。その一方でその出版社の本の入りやすい書店というのは確かにあって、そこにはごまんとその本が積まれている。けれども書店には「色」があって、その書店の色、つまり客層にあわない作品は手にとられずに返品に至る。
発注した書店に入っていればもう少し売れたかもしれないのに。
そんな流通のしくみが罷り通る一方で「最初の一週間で売れない」というだけの理由で切られる作品がどれだけあることか。その話は出任せではないのだろうが、その背景にあるしくみが捩れているように思われる。

まるで「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」だ。

宮沢賢治 ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記

自分が書店員だった頃の経験と照らし合わせても、おかしい、と感じることが起きている。経験のためか、ずっと出版社が悪い、取次ぎが悪いのだと思っていた。
けれども、近頃、色々のことを経て、ふと思い至った。
いいや、自分が悪い。つまりは読者の自分が悪いのだと。

平成25年度の調書によれば月に一冊以上本を「読む」読書者の人口は、つまりは52.5パーセント。読書をしない人でも、今後読書量を増やしたいと考える人は非読書者層のうち55.3パーセント。この数が多いか少ないかはわからない。
けれども自分は読書をする側の人間だ。とにかく、読書をする側の人間の、そのうちの一人だ。自分が読書量を増やせば、つまりはその一冊に対する読者を一人増やせるわけだ。そのことについて、自覚的であるだろうか。
その作品、いや商品といってもいいかもしれないが、その一冊の読者であることについて、誇りをもつことについてあまりに自覚が足りないのではと感じることがあった。
つまり、まあ、なんというかその「売れている本についてなら話題に出来る」という傾向が自分にはある。
唐突な話題変換かもしれないけれども。

いやもっと言うなら、売れている本についてしか話題に出来ない。もっと言うなら公式という出版社が推している、売っている本しか話題にできない。そんな傾向がなかったろうかと反省している。


理由を話すと多々あるのだが、例えば若木未生先生の「ハイスクール・オーラバスター」というシリーズがある。集英社コバルト文庫の80-90年代を牽引した二大横綱といえば若木未生桑原水菜だ。双方私は耽読したが、とにかく私は若木先生のファンだった。
リアルな高校生の頃から、彼女のファンだ。
「ハイスクール・オーラバスター」について語ると長いが、完結にあらすじを語ると平凡な高校生の崎谷亮介がある特異な現象や人物に遭遇し、事件に巻き込まれていくうちに己の特殊能力に気付いていくという学園SFである。
それに登場する「術者」と呼ばれる少年たちの友情やら絆やらが、当時コミックで既に人気を得ていた「BL」のテイストを帯びていた。それが小説に移行してきた時期の最も代表的なシリーズのひとつだ。結構な深みにはまったものだ。
今ではBLにさほどの興味はないが、当時同性愛を扱うものはBLしかなかった。(BLという言葉すらなかった時代だ)


はまりまくって同人誌も作ったし、そのイベントで知り合った友人や、クラスメイトも巻き込んでとにかくその魅力を語りまくった。その頃はコバルトのシリーズ物が何十冊出ていても、三・四冊を一晩で一気読みなんてことも平気だった。十代って怖い生き物だと今は思う。

後々でライトノベルと呼ばれるものの先駆けだったのがコバルト文庫だ。少年向けの分野においてはどうか知らないが、少女向けのブランドとしての地位を確立していた。
若木先生のシリーズも桑原先生のシリーズも、どちらも当時人気のBLテイストを帯びていたとはいえ(桑原先生のシリーズはもっと顕著だった)、骨子は「少女小説」といったやさしい言葉で片付く作風ではなかった。のちのSF系のトークイベントで若木先生が語られていたが、オーラバスターは明らかにSFであったにも関わらず、少女向けであることから「ファンタジー」というコピーを抜け出せない帯がついていたそうだ。
だが、明らかに若木作品はSFを扱っているし、桑原先生は確かな日本史の知識を下敷きとした小説を描くことによって今で言う「歴女」のパイオニアとなるファンを生み出した。
閑話休題。とにかく当時のオーラバスターのファンが十代の間は周囲にたくさんいた。
語る相手に恵まれていた。けれども、ある時、そのシリーズが変化の時を迎える。それまでの挿絵担当者が一新されたのだ。挿絵というのはライトノベルにおいて大きな存在で、それが一部のファンの反感を買ってしまった。特に同人作品を作っているファンにはそれが多かった。私個人は、というと何とも感じていなかった。
いや、何とも感じていないわけではない。けれども新旧の挿絵の担当作家のそれぞれの良さを理解できたし、何よりも大切なのは活字だった。
小説の著者は挿絵担当者ではない。いかにそれがライトノベルであっても。
けれども、二次創作の作り手は大半が絵を重視していた。当時の自分がそのあたりの事情を理解していれば失望しなかったところだろうが、同人誌の作り手、というファンに囲まれていた自分は作者の悪口雑言をリアルに彼女たちから聞かされることになった。
トラウマといってもいい。私は困惑した。何故急に神様と呼べる存在である作者を彼女たちが悪しざまに毒づいて揶揄して笑い話にまで貶めるのか、わからなかった。
今ならその背景を察することができるのだが。
彼女たちは原作の絵が変ったことによって、自分たちも絵柄や作風をあわせねばならず、それに対する労力に文句をいい、「萌えの源」がなくなってしまったと毒づいていた。彼女たちは絵を扱うので絵を重視するのは当然だった。

今なら察することはできる。共感できない点は変らない。

 

自分にとって相容れない場所でファンをやってしまっていたのだ、と思う。

 

それでも私は作者も作品も好きだった。活字を重視していた。いや、「原作」を愛していた。その後も何回も何回もオーラバの二次創作小説が書きたくてコミケットに申し込みをした。そこには「原作」への愛しかなくて、スペース確保のための戦略とか作品の同人誌マーケットにおける市場価値なんて何も考えてなくて、ただひたすらな愚かさしかなかった。だからものすごく孤独だった。
語り相手もいなくて、サークルは落選続きで、ただ「好き」という気持ちだけが残る。
今考えるとそれを二次創作で表現していたこと自体がいかがなものか、という気持ちに占められる。間違いではないのかもしれないが、それでは結局届かない。

その後オーラバスターシリーズは出版社を転々として、新作も出たけれども旧作の出版は打ち切りという状況に至っていた。けれども、今年の二月に入ってから、元もとの出版社である集英社から電子書籍として発売される運びになったのだという。
もちろん新刊が出た時も嬉しかった。けれども、旧作の出版は尚更嬉しくて嬉しくて嬉しい! と思った。どうして急に出版の運びに至ったのだろう、と若木先生のツイッターを拝見していて、ふと手がとまった。

とにかく読者のリクエストがあったからだ、かなったからだ、ということがわかってきたからだ。激しく後悔した。私、リクエストに参加していないではないか。
何たる不始末。ファンとして恥ずかしい…いや、それよりもファンと言えるのだろうか。どうしてこんなていたらくに陥ったのだろう…と鑑みて、どうしても「ひとりきりのファン」と覚えていた時期のことを思い出した。周囲が悪いわけではないのに、自分に読者としての自覚が足りなかったのではないだろうか。
そもそも私、若木先生にファンレターの一通も書いたことがあったろうか。
いや、あった。あるんだけれど、本当に一通だけだ。
いや、メールも送ったことがある。けれども、それってそんなにたくさんではなくてサイン本がほしいという企画に応募しただけだ。
どうなんだろう、ファンとして。大衆の一員として二次創作に興じていただけで、読者としての自覚が足りなかったのではないだろうか。ただ周囲に同じファンがいないというだけで、読者としての義務を怠っていなかったか。いや。
ただ一人きりであるというだけで、その作者のファンであるということを誇れない。
そういう自分にすっかり気付いた。

学校のクラスメイトに熱心な若木先生のファンがいて、彼女はせっせとファンレターを書いていた。つまり私もそれを見習うべきだったのだ。大人のふりをして同人誌を作っている場合ではなかった。絵を描ける友達に憧れていたという面も手伝っていた。けれど自己弁護だ。

 

実はオーラバスターの件だけじゃない。今年に入ってから、自分はもっとファンとしての自覚をもっていたらよかった! という気持ちに陥ることがあった。
強く、そう感じることが。

読みたい本が読めなくなるのは、絶対に出版社のせいではない。もちろん作者のせいでもない。私が読者でなくなってしまうとすれば、そうあろうとしてもその本を入手できなくなってしまうとすれば、読者の資格を失う時があるとすれば、それは自分のせいだ。自分の周囲に語り相手がいないというだけで、読者としての誇りを失ってしまった。たった一人でも、その作者の読者であることをもっと王様みたいに誇りに思って求めていなければいけなかった。ひたすらコミケットに一人で申し込みすることはできたのに、リクエストできないなんて馬鹿みたいだ。いや、違う。

他の読者がいない作品を愛するなんてできない、という知性とか恥じらいが余計だったのだ。
求めよ、さらば与えられん。って、こういうことなのではないだろうか。

つまり愚かでなければならない、もっと。裸の王様でもいいから、ロバの耳がついていてもいいから。愚図でいいから読者でなければ。

そう感じることが、あった。
まわりに仲間がいなくたって、読者であることを恥ずかしいとか人に隠したいとか絶対に思わないようにしなければ。全体の半分の本を読む側の一人、絶対数としてそれは少なくない大多数即ち大衆のうちの一人かもしれないけれども、作者にとっての一人の読者であることを、自分が、自分こそがその作者の読者であることを作者に幸せと感じさせるような、そのような一人の読者であらねばならない。ということを、強く感じている。

 

出版不況ってなんだろうと思う。本が売れなくなっていく。
それは私がその作者の本を読めなくなることと関係あるのだろうか。不況だから売れないから私の好きな作者の作品が読めなくなっていくのだろうか。編集者が作者に宣伝を押し付ける、という問題がSNSで話題になっている。それが善か悪かなんて考える暇なんてない。それってそれ以上に読者が作者に宣伝を押し付けてるってことではなかっただろうか。

私が。出版社とか作者に依って、周囲の仲間に依って、読者たることを忘れていないかどうか。そのことが一番大切だ。購買するだけじゃなくって、リクエストしてレビューを書いて。そんなことを、愚者の王様みたいに行わなければならない。王様みたいに自覚を抱いて、愛する作品について何でもいいから気持ちを打ち明けて。出版社主導の作品には目を向けないとかそういうことではなくて、もうもっと単純に好きなものは好きといわねば。
まわりに誰も同じ本を読む人がいなくても、大事な一冊を大事にすることを忘れたら駄目なんだ。

泉谷しげるが「馬鹿にも知性が必要なんだ」という名言を随分昔に『クイズ・音楽は世界だ』という番組で発していたけれども、多分「読者」には必要ないのだ、知性。馬鹿でいい。

地球上最後の一人の読者になってもファンでいますなんてのは無理な理屈で、読者が地球に一人だったらもうその本は出ないんだよな。ひしひしと感じてる。馬鹿でいいから布教せねばならない、打倒・聖書だ。我が愛する本は聖書よりも読まれなければならない…それくらいの心意気でいきたい(ものの例えであって宗教論争をおこしたいわけではないことを明記します)
肝に銘じようと、そう思うことがあったので、ここに備忘録として記しておく。

告知

あけましておめでとうございます。

 

数万年ぶりにホームページを更新しました。

水曜区

 

綾奈ゆにこさんと共有のnoteを開始しました。

ゆにこさめ|note

さらっと言っているけれども、緊張しています。いや、私から持ちかけたのですが…!(でも電光石火で綾奈さんが応じて下さってほんとに感謝しています)

百合や、百合でない話題も、日記や、日記でない創作も色々放り込んでいくゆるーい集合場所になればなと思っています。じわっと長く続けられるといいなって。宜しくお願い致します。

 

GirlsLoveFestivalSP3  JK同士百合ONLY「Lyceer Lilia Memoire」参加します。3/18です!

スペースはJ05「甘辛パラダイス」です。

百合オンリーイベント「Girls Love Festival SP3」

念願のGLfes初参加です。川崎なのでちょっと遠いかな。

百合展のあとに泊まりの予定にしたけどどこ行こうかなー的な余裕のある方は是非(どういう宣伝だ)。新刊はないですが何かペーパーとかもって行きたい…

 

今月中か来月くらいにもうひとつ新しい仕事始まるというか、記事掲載先がひとつ増えそうなのでしばらくはそちらを頑張ります。漫画、読むぞ。

あと、ずっとお蔵入りにしていた作品を引っ張り出してくるつもりです。それは五月とか六月くらいに積み上げていきたいな。

共有noteを所有したことで自分のnoteにも目が向いているので、ちゃんとそっちも更新します。

 

 

百合発行物まとめ

2017夏冬と発行した頒布物の販売経路整理のためにもご案内させていただきます。

 

2017夏のコミケット発行「ふじょ☆ゆり あのこにヒミツを知られたら」

豊田あしほは生徒会長。
生徒の手本となるために自分の『趣味』を隠していた。
ある日共通の趣味をもつ御剣蘭(みつるぎらん)にあっさり暴かれ本性を紐解かれてしまい、ついには恥ずかしいことを強いられるように。一方、蘭の前には不穏な青年と美少年の二人組があらわれて…!?
教師や不良やオタクたちを巻き込んで展開される腐女子×腐女子ガールズラブコメディ、開幕。

《委託・通販》

メロンブックス様(予約受付中。2月には通販開始されると思います)

www.melonbooks.co.jp

●COMICZIN様(現状、購入不可となっています…やがて再開されるのかも)

COMIC ZIN 通信販売/商品詳細 ふじょ☆ゆり あのこにヒミツを知られたら

電子書籍

kindle

 

ふじょ☆ゆり あのこにヒミツを知られたら: 本編

 2017冬のコミケット発行「愚図にトリセツは存在しない」

ある寒い夜に加湿器が壊れた。
私、佐藤みやびは問い合わせをひとりでこなし、修理依頼するために家電を梱包して家を出た。
扉を開いたらそこには高校生のときからの腐れ縁・白石いづるが待っていた。
白石は女性から女性へ渡り歩く性質の悪いレズビアン
女にふられて行くあてがないと転がり込んだ白石を追い返そうとするも、壊れた家電をきっかけに同居することになり…

春夏秋冬をめぐる季節家電と白石と『私』の同居生活。
実在の家電が登場します。

メロンブックス

www.melonbooks.co.jp

愚図にトリセツは存在しない

 

愚図にトリセツは存在しない

愚図にトリセツは存在しない

 

 

そんな感じで改めて2017年は二冊も同人誌を出したのでがんばりました。(生きているだけでえらい論法)いや実際腐女子百合の小説本は番外編もいれるとかなりの厚みなので大変だったのです。

これをふまえて2018年は職能百合の本を出したいと思っています。あるいは外道百合。

 

ところで「既婚者女性が少女と出会い一過性の百合では? と悩みながらも最終的には好きで好きで仕方なくなって特に悪者でもない夫と離婚する百合(なんかこう財産とか立場とかなげうつやつ。確かに社会通念上夫を愛していたから少女に信じてもらえず一度はふられて苦しむやつ)」を書くとツイッターで宣誓したのでそれをちまちま書いていくつもりです。

でもこれ脳内に白百合版と黒百合版とあって、とりあえず白百合版から書き出してみています…

slib.net

今年はもう少し書く時間がほしい。

もしお気に召す作品がありましたらkindleでレビューなどくださいますとおおいに喜びます。宜しくお願い致します。

「百合ナイト 第0回」にいってきました。

2017年1月14日、歌舞伎町ロフトプラスワンで開催された「百合ナイト」に参加してきました。

百合ナイト、大変充実した一晩でした。

行ってみましたところ、ガッチガチの安定百合オタイベントでした。

『百合ナイト 第0回』 – LOFT PROJECT SCHEDULE

 

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ざっとですが記録しておきます。

もう少し詳細に綴りたい気もしますが、概要を。

 

橘田いずみさんや小玉励さん、沼田誠也監督、淡乃晶さん、高橋みのりさんと森島明子先生、それぞれに百合に造詣が深く安心できるイベントでした。

冒頭で好きな百合を一冊紹介するのはいい構成だったと思います。

 

橘田さんの「百合が好きといってもなかなか語る機会がない」という気持ちがひしひしと伝わってきて、かなり共感。SMチックな百合が好きだったりと、思った以上にエロスに貪欲な方なのだなと感じられて面白かったです。こういう言い方は失礼なのかもしれませんが既知の百合愛好家と完全にノリが同じだった。なんだか友達の話を聞いているような既視感があり個人的に入りやすかったです。百合好きの共通点なのかもしれない…

 

森島先生の「女の子は好きって周囲にいえるけれどオタクだってあまり言えない」というお話、創作活動などをしている者として深く頷く一幕がありました。

百合そのものというよりも、妄想や創作ってそうだよね! と。

この一言、ひょろっと聞こえたワードだったんですが、百合関係なしに感動してしまった。

自分も百合や女子が好きと言うことはリアルに言いやすいのですが、創作活動を周囲に漏らすと引かれてしまうことがあります。リアルはいいけれども妄想はNGという恐らくは先生の学生時代(かな?)の青き悩みが伺えてぐっときた。現在でも学生などの若さだと創作活動していることは言いづらいという風潮はあると思うんですよ。いや大人でもプロでない限りはなかなか悩ましい。

ユリ熊や百合姫に関するコメントも伺えました。生命感のある明るい未来のある百合が好きといった心持を明かして下さって、漫画の通りにまっすぐで。今まで参加したトークイベントよりも好きなことに関する話題であるため、参加できて嬉しい、楽しいと仰っていたのが、百合ファンとしても嬉しく感じました。女子が女子のハートを射抜く、みたいな表現が好きというお話を幾原監督にされていたそうで、けれども恥ずかしいから秘密に…ということでお願いしたそうなのですがバリバリにアニメに活用されていて驚いたというお話がとてもレアでした。

ユリ熊の「射撃」っていうモチーフは、殺傷ではなく女子力(百合力)をあらわしていたんだなーと実感。そういう視点で考えると、ユリ熊への洞察がとても深まる。なるほど、鉄砲を持って追いかけてる姿は単に女子に恋する女子だったのか!?

「心臓を射抜く」というより「ハートを射抜く」だと仰っていて、確かに意味合いが大きく変ってくる。ユリ熊嵐、もう一度見直したくなりました。

 

沼田監督や小玉監督はそれぞれに百合アニメに関わっている方々で、けれどもアニメをあまり見ない自分は作品を拝見したことがなくてどんな感じだろうと思ってました。しかし。のっけから「harmoney」や「ダーティペア」や「ハスメド」などディープな百合のタイトルが飛び出してきたので、信頼感がすごかったです。ハスメドやダーティペアについてはもっと語って下さってもいいのに、と感じました。

ストパニミルキィホームズ、2018年になって今更かもしれませんが見てみようと強く感じました。信頼…!!

 

高橋みのりさんは作品のプレビューなども見せてくださいました。百合展やガレットの時から色使いが美しい百合写真を撮影される方と知っていたので、ご本人をお見受けできて幸いでした。写真家らしい控えめな方で撮影される写真のイメージそのままな雰囲気。美しい一枚の撮影裏で少女たちが自然に百合的な仕草を醸したと語られ、マニア垂涎の裏話でありがたさが凄かったです。

 

淡乃晶さんについて、今回最も興味をもってうかがった方でした。舞台で百合を演目としている方がいるということ自体、この百合ナイトで知りました。映像をちらりと見て内容を多少伺っただけでしたが、悲恋や「いやいや」なシチュが好きなかなりディープな百合好きなお方で、舞台に興味がわきました。DVD買ってしまったよ…

 

「百合なめんじゃねえ」というTシャツを宣伝しており、エポックメイキングだと思いました。買えばよかったな…と思ったら劇団fragment edgeさんの公式HPでトートバッグはまだ売ってらっしゃる。買おうかな。

fragmentedge.thebase.in

 

皆さんのそれぞれの百合への想いが溢れているのが伝わってきました。

途中「百合女子会」が入り、森島先生、橘田さん、高橋さんだけの三名で語る時間があり、とてもほのぼのした気持ちに。

最後に森島先生からは「百合は宇宙…みたいな話がもっとしたかった」というキーワードが出てきて、それが締めの言葉になって、しまいにはポーズまで決めることに。

ポーズがなかなか決まらず、けれども小指を絡める仕草によう、という森島先生の提案で決まったのですが、長年百合に携わってきた先生だからこそまろびでるポーズではないかと思いました。強い…強さがすごい…と感じました。

小指を絡める、というポーズは最高だし、百合の本質を本当に理解されていらっしゃる。最後の締めが「百合は宇宙」になろうとは誰が予想できたでしょう。

 

しかしロケーションがちょっと寒かったかな、という感じです。自由席であることを失念して末端の席になっちゃった自分が悪いんですけどね。何故かこの手のトークイベントはチェックが甘いときがあって端っこになりやすいのでもうそういう宿命なんだと思う。同じロフトなら阿佐ヶ谷とかのが嬉しいな…けれど去年「捏造トラップ」試写会も歌舞伎町でしたので、歌舞伎町にこうして百合カルチャーがじわっと根付くのも楽しいのかもしれません。

 

結論、オールナイトでもまた遊びに行きたい楽しいイベントでした。

またやってほしいなー!

 

 

活動概況

活動が散り散りになってきたので最近行ったことをまとめておきたいと思います。

ツイキャス「ゆりがたり」

大北紘子先生の作品について語らせて頂きました。

Live History - krkawwa - TwitCasting

放送後に大北先生から生の百合作品ネームを頂いてしまったりと今さらっと語ってるけどこれ大変なことだからな。大変なありがたきハピネスだからな。大変ありがたきハピネスに見舞われたので私は年を越すことが無事にできるのかどうか。シェパーズパースの奇跡を忘れない…

www.pixiv.net

みんな「楽園の神娘―クロリス―」を読んで。ほんと…イイから…

軽い口調でしか語れないのが口惜しいけど元百合姫で掲載されていた大北先生が今は講談社で連載している漫画が素晴らしい、誰かこの事態を解説してくれ。

 

楽園の神娘(1) (アフタヌーンKC)

楽園の神娘(1) (アフタヌーンKC)

 

 

「ゆりがたり」は好評だったので年明けにまたやります。新旧問わず語りたいものが色々。

百合キャスもコンスタントにやっていけたらいいけどな…

百合の話を聞いていたらいつの間にか全員篠北礼子のファンになっていたみたいなことにしてやるからな…そう、私はいずれ「やじきた学園道中記」とか語りたいんだ。いつの間にかそういうことになるよう洗脳してやるんだからな。(何もかも口に出すよ)

 

○Enty終了

同人誌リリースや過去作品のお蔵出しの場として大いに活用させていただいたのですが、2017年末をもちまして、続けていたシリーズ終了にあたり、きりがいいので一旦終了いたします。

既存会員の方に熱く御礼申上げます。詳細はEnty内にてご確認ください。

enty.jp

 

冬コミ参加します

新刊出しますよ。今回の表紙はあおい華葉様です。

「愚図にトリセツは存在しない」は実在家電の登場する百合短編連作小説です。

クズなレズと同居する羽目になったOLさんが季節ごとに家電のトラブルに見舞われたりその故障を修理したりなんかしていくうちに百合めいた何かが生まれるあれな小説です。140P/文庫サイズです。

www.pixiv.net

既刊は「ふじょ☆ゆり」です。表紙は水菜アナゴ様。

www.pixiv.net

www.pixiv.net

 

スペースはツイッターとかでチェックしてね。

こさめ@土曜東ア20b (@krkawwa) | Twitter

 

○noteで始めたマガジンがあります。

note.mu

マガジンそのものは無料だけどnote(ページごと)は有料みたいな感じになってしまったので割高感があるかもしれない…でも創作の秘密があるのであんまり無料にはできない。初回分はEnty有料会員向けにはリリース済みの内容なので既存会員の方はお気をつけ願います。内容まったく同じです。

 

 

 

2018年はkindleをメインに長めの百合小説を書いていきたい。

ひとつ、完全に網羅したい物語があるのです。そのための勉強が不足している。

長い長い物語を綴りたいです。記事もコラムも楽しいのですが、物語がやりたい。

がんばります。