「読者」に知性は必要ない

出版不況という話を聞くたびにそれは売る側の話題でしょ、と思う。
供給側の赤だとか黒だとかいう話を聞かされても出版社のせいだと思っていた。
文学はとっくに死んでいる。芥川賞も小説講座の広告看板にされてしまう世の中だ。
今では文学賞の受賞作はむしろ普段本を読まない人の読み物、という印象すらある。

文化庁の『平成 25 年度「国語に関する世論調査」の結果の概要』によると月に一冊も本を読まない人の割合は調査対象のうち47.5%。
その『非読書人口』のうち本を今後も読みたいと思わない人は44.7%もいるそうだ。総務省統計局の統計で平成25年度の人口は127.298.000人。つまり平成25年度の時点で約6千万人の人が本を読まない。更にそのうち約2千7百万人が今後も読まない非読書人層(?)にあたる。
読書をしない、これからもしない層について、これが若い人ならまだいい。
けれども同調査の結果で本を読まない層が多いのは七十代以上。非読書層の六割を占めている。

意外にも二十代と四十代の読書者人口は多い。
若者の読書離れと言われるけれども、考えれば自然なことながら老年層の方が本を読まない。
当たり前だ。実際に老化が進むと読書自体が困難になる。
自分も明らかに今四十代に至って「初老」という言葉が実感されるくらいに年をとるほどに読書に対する体力も集中力も落ちてくる。
だから焦燥を感じてあれもこれも読まなければと積んでいる本がたくさんある。典型的だ。実際七十代に至ってこれから読書量を増やしたい、なんて思えるかどうか。
どちらかというと人と話をして綺麗なものを見ておいしいものを食べたくなるのではなかろうか。読書なんて孤独な趣味とは縁薄くなっていくのではないだろうか。

平成25年度の四十代の読書人口が多いのは単に人口の多さのせいだろうか。
二十代の読書者の層はいっそ人口に対する割合が高いようにも思える。
あくまでも印象の話だし、数の話は苦手だけれども。

つまりは年をとるほどに読書そのものが困難になるのは当たり前の話だ。
けれどもこの国では高齢化が進んでいる。5年前の古いデータを前に何を詮議しているのか、と思われるかもしれないけれども、読書人口について公的な調査がされたもっと新しいデータを探しても見付からなかったのだ。数の話は例えにすぎない。

人って一生のうちに本当にそんなに本を読むものだろうか。
ふとそう思って調べてみたのだ。

 

働きに出るようになってしばらくは書店勤務だったから周囲に本の話をする人はいた。けれど職場を転々とするうちに平生から本を読んでいる人をあまり見かけなくなった。もしかしたら読んでいるのかもしれないが、恒常的に読んでいる人は少ない。

ところで気になるのは先の統計がラノベや漫画を読書に数えているかどうかということ。本が売れないというけれど、本を読む人が減っているのだから仕方ない気もする。ただ、実際に読む人は減っていても作品を作る人は増えているように思う。
創作者増加の背景にインターネットの貢献度は高いだろう。
同人誌即売会だって年に一回や二回だった三十年前とは違い、週末になると各地方の公共施設や商業施設を借りて色々な即売会が開催される。
個人的には同人誌だって漫画だって読んだらそれは充分読書に数えていいと思う。
今、書籍にはライバルがたくさんある。
昔、新聞のライバルはテレビと言われたが、新聞はテレビの風潮をうまく取り入れることで生き残ったという話がある。同じように今の文芸は漫画を取り込んで生きようとしているようにも見える。


書籍のライバルはインターネットだろう。電子書籍という意味ではない。ウェブ上には活字も絵も映像もゲームも溢れている。VRなんて技術もできた。

活字や漫画などの創作物が書籍にいたるには審査が必要だが、ウェブには審査がない。審査と言うのは編集者などのプロフェッショナルの目、という意味だ。
ちなみにこの話は編集者不要論の記事ではない。出版社のしくみがインターネットに追いつかない、という話だ。出版社とインターネットの関係は、現代の宇宙開発の流れに共通点がある気もする。例えばNASAでは国家プロジェクトのスケジュールが何年も何十年も先まで組まれているけれども、その間にも民間の大学や企業では最新技術が生まれて少数精鋭で資金繰りさえどうにかなれば前進するので、その効能は場合によっては大きな宇宙開発局よりも早くあらわれる、というような。
つまりは開発局は鈍重だ…とは思わない。その重さがなければ果たせないプロジェクトも採取できない正確な統計ももちろんたくさんあるのだから開発局が不要ということはありえない。

ただ出版の在り方が変ってきているのは確かであろう。
近頃SNSで「新しい漫画の単行本が出版された時に最初の一週間の売り上げが大事だ」と言う話が出回っている。消費者側への責任転嫁であって、編集者がその作品を切るときに本当にそんなことを言うのだろうか。けれども実際数字がなければ会社は成り立たないので、ある程度は事実なのだろう。

けれど、その本の売れるまでにその本は需要のある人に需要のあるタイミングで届いているのだろうか。ある書店に勤務していて目にした風景のひとつとして、例えば本を50部発注したのに届いたのが5部だった、ということもあった。そこで本が全て売れたとして、残りの45部はどこへ届けられたのか。

ある書店では、新刊を発注したけれども一部も届かなかったということもあるだろう。その一方でその出版社の本の入りやすい書店というのは確かにあって、そこにはごまんとその本が積まれている。けれども書店には「色」があって、その書店の色、つまり客層にあわない作品は手にとられずに返品に至る。
発注した書店に入っていればもう少し売れたかもしれないのに。
そんな流通のしくみが罷り通る一方で「最初の一週間で売れない」というだけの理由で切られる作品がどれだけあることか。その話は出任せではないのだろうが、その背景にあるしくみが捩れているように思われる。

まるで「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」だ。

宮沢賢治 ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記

自分が書店員だった頃の経験と照らし合わせても、おかしい、と感じることが起きている。経験のためか、ずっと出版社が悪い、取次ぎが悪いのだと思っていた。
けれども、近頃、色々のことを経て、ふと思い至った。
いいや、自分が悪い。つまりは読者の自分が悪いのだと。

平成25年度の調書によれば月に一冊以上本を「読む」読書者の人口は、つまりは52.5パーセント。読書をしない人でも、今後読書量を増やしたいと考える人は非読書者層のうち55.3パーセント。この数が多いか少ないかはわからない。
けれども自分は読書をする側の人間だ。とにかく、読書をする側の人間の、そのうちの一人だ。自分が読書量を増やせば、つまりはその一冊に対する読者を一人増やせるわけだ。そのことについて、自覚的であるだろうか。
その作品、いや商品といってもいいかもしれないが、その一冊の読者であることについて、誇りをもつことについてあまりに自覚が足りないのではと感じることがあった。
つまり、まあ、なんというかその「売れている本についてなら話題に出来る」という傾向が自分にはある。
唐突な話題変換かもしれないけれども。

いやもっと言うなら、売れている本についてしか話題に出来ない。もっと言うなら公式という出版社が推している、売っている本しか話題にできない。そんな傾向がなかったろうかと反省している。


理由を話すと多々あるのだが、例えば若木未生先生の「ハイスクール・オーラバスター」というシリーズがある。集英社コバルト文庫の80-90年代を牽引した二大横綱といえば若木未生桑原水菜だ。双方私は耽読したが、とにかく私は若木先生のファンだった。
リアルな高校生の頃から、彼女のファンだ。
「ハイスクール・オーラバスター」について語ると長いが、完結にあらすじを語ると平凡な高校生の崎谷亮介がある特異な現象や人物に遭遇し、事件に巻き込まれていくうちに己の特殊能力に気付いていくという学園SFである。
それに登場する「術者」と呼ばれる少年たちの友情やら絆やらが、当時コミックで既に人気を得ていた「BL」のテイストを帯びていた。それが小説に移行してきた時期の最も代表的なシリーズのひとつだ。結構な深みにはまったものだ。
今ではBLにさほどの興味はないが、当時同性愛を扱うものはBLしかなかった。(BLという言葉すらなかった時代だ)


はまりまくって同人誌も作ったし、そのイベントで知り合った友人や、クラスメイトも巻き込んでとにかくその魅力を語りまくった。その頃はコバルトのシリーズ物が何十冊出ていても、三・四冊を一晩で一気読みなんてことも平気だった。十代って怖い生き物だと今は思う。

後々でライトノベルと呼ばれるものの先駆けだったのがコバルト文庫だ。少年向けの分野においてはどうか知らないが、少女向けのブランドとしての地位を確立していた。
若木先生のシリーズも桑原先生のシリーズも、どちらも当時人気のBLテイストを帯びていたとはいえ(桑原先生のシリーズはもっと顕著だった)、骨子は「少女小説」といったやさしい言葉で片付く作風ではなかった。のちのSF系のトークイベントで若木先生が語られていたが、オーラバスターは明らかにSFであったにも関わらず、少女向けであることから「ファンタジー」というコピーを抜け出せない帯がついていたそうだ。
だが、明らかに若木作品はSFを扱っているし、桑原先生は確かな日本史の知識を下敷きとした小説を描くことによって今で言う「歴女」のパイオニアとなるファンを生み出した。
閑話休題。とにかく当時のオーラバスターのファンが十代の間は周囲にたくさんいた。
語る相手に恵まれていた。けれども、ある時、そのシリーズが変化の時を迎える。それまでの挿絵担当者が一新されたのだ。挿絵というのはライトノベルにおいて大きな存在で、それが一部のファンの反感を買ってしまった。特に同人作品を作っているファンにはそれが多かった。私個人は、というと何とも感じていなかった。
いや、何とも感じていないわけではない。けれども新旧の挿絵の担当作家のそれぞれの良さを理解できたし、何よりも大切なのは活字だった。
小説の著者は挿絵担当者ではない。いかにそれがライトノベルであっても。
けれども、二次創作の作り手は大半が絵を重視していた。当時の自分がそのあたりの事情を理解していれば失望しなかったところだろうが、同人誌の作り手、というファンに囲まれていた自分は作者の悪口雑言をリアルに彼女たちから聞かされることになった。
トラウマといってもいい。私は困惑した。何故急に神様と呼べる存在である作者を彼女たちが悪しざまに毒づいて揶揄して笑い話にまで貶めるのか、わからなかった。
今ならその背景を察することができるのだが。
彼女たちは原作の絵が変ったことによって、自分たちも絵柄や作風をあわせねばならず、それに対する労力に文句をいい、「萌えの源」がなくなってしまったと毒づいていた。彼女たちは絵を扱うので絵を重視するのは当然だった。

今なら察することはできる。共感できない点は変らない。

 

自分にとって相容れない場所でファンをやってしまっていたのだ、と思う。

 

それでも私は作者も作品も好きだった。活字を重視していた。いや、「原作」を愛していた。その後も何回も何回もオーラバの二次創作小説が書きたくてコミケットに申し込みをした。そこには「原作」への愛しかなくて、スペース確保のための戦略とか作品の同人誌マーケットにおける市場価値なんて何も考えてなくて、ただひたすらな愚かさしかなかった。だからものすごく孤独だった。
語り相手もいなくて、サークルは落選続きで、ただ「好き」という気持ちだけが残る。
今考えるとそれを二次創作で表現していたこと自体がいかがなものか、という気持ちに占められる。間違いではないのかもしれないが、それでは結局届かない。

その後オーラバスターシリーズは出版社を転々として、新作も出たけれども旧作の出版は打ち切りという状況に至っていた。けれども、今年の二月に入ってから、元もとの出版社である集英社から電子書籍として発売される運びになったのだという。
もちろん新刊が出た時も嬉しかった。けれども、旧作の出版は尚更嬉しくて嬉しくて嬉しい! と思った。どうして急に出版の運びに至ったのだろう、と若木先生のツイッターを拝見していて、ふと手がとまった。

とにかく読者のリクエストがあったからだ、かなったからだ、ということがわかってきたからだ。激しく後悔した。私、リクエストに参加していないではないか。
何たる不始末。ファンとして恥ずかしい…いや、それよりもファンと言えるのだろうか。どうしてこんなていたらくに陥ったのだろう…と鑑みて、どうしても「ひとりきりのファン」と覚えていた時期のことを思い出した。周囲が悪いわけではないのに、自分に読者としての自覚が足りなかったのではないだろうか。
そもそも私、若木先生にファンレターの一通も書いたことがあったろうか。
いや、あった。あるんだけれど、本当に一通だけだ。
いや、メールも送ったことがある。けれども、それってそんなにたくさんではなくてサイン本がほしいという企画に応募しただけだ。
どうなんだろう、ファンとして。大衆の一員として二次創作に興じていただけで、読者としての自覚が足りなかったのではないだろうか。ただ周囲に同じファンがいないというだけで、読者としての義務を怠っていなかったか。いや。
ただ一人きりであるというだけで、その作者のファンであるということを誇れない。
そういう自分にすっかり気付いた。

学校のクラスメイトに熱心な若木先生のファンがいて、彼女はせっせとファンレターを書いていた。つまり私もそれを見習うべきだったのだ。大人のふりをして同人誌を作っている場合ではなかった。絵を描ける友達に憧れていたという面も手伝っていた。けれど自己弁護だ。

 

実はオーラバスターの件だけじゃない。今年に入ってから、自分はもっとファンとしての自覚をもっていたらよかった! という気持ちに陥ることがあった。
強く、そう感じることが。

読みたい本が読めなくなるのは、絶対に出版社のせいではない。もちろん作者のせいでもない。私が読者でなくなってしまうとすれば、そうあろうとしてもその本を入手できなくなってしまうとすれば、読者の資格を失う時があるとすれば、それは自分のせいだ。自分の周囲に語り相手がいないというだけで、読者としての誇りを失ってしまった。たった一人でも、その作者の読者であることをもっと王様みたいに誇りに思って求めていなければいけなかった。ひたすらコミケットに一人で申し込みすることはできたのに、リクエストできないなんて馬鹿みたいだ。いや、違う。

他の読者がいない作品を愛するなんてできない、という知性とか恥じらいが余計だったのだ。
求めよ、さらば与えられん。って、こういうことなのではないだろうか。

つまり愚かでなければならない、もっと。裸の王様でもいいから、ロバの耳がついていてもいいから。愚図でいいから読者でなければ。

そう感じることが、あった。
まわりに仲間がいなくたって、読者であることを恥ずかしいとか人に隠したいとか絶対に思わないようにしなければ。全体の半分の本を読む側の一人、絶対数としてそれは少なくない大多数即ち大衆のうちの一人かもしれないけれども、作者にとっての一人の読者であることを、自分が、自分こそがその作者の読者であることを作者に幸せと感じさせるような、そのような一人の読者であらねばならない。ということを、強く感じている。

 

出版不況ってなんだろうと思う。本が売れなくなっていく。
それは私がその作者の本を読めなくなることと関係あるのだろうか。不況だから売れないから私の好きな作者の作品が読めなくなっていくのだろうか。編集者が作者に宣伝を押し付ける、という問題がSNSで話題になっている。それが善か悪かなんて考える暇なんてない。それってそれ以上に読者が作者に宣伝を押し付けてるってことではなかっただろうか。

私が。出版社とか作者に依って、周囲の仲間に依って、読者たることを忘れていないかどうか。そのことが一番大切だ。購買するだけじゃなくって、リクエストしてレビューを書いて。そんなことを、愚者の王様みたいに行わなければならない。王様みたいに自覚を抱いて、愛する作品について何でもいいから気持ちを打ち明けて。出版社主導の作品には目を向けないとかそういうことではなくて、もうもっと単純に好きなものは好きといわねば。
まわりに誰も同じ本を読む人がいなくても、大事な一冊を大事にすることを忘れたら駄目なんだ。

泉谷しげるが「馬鹿にも知性が必要なんだ」という名言を随分昔に『クイズ・音楽は世界だ』という番組で発していたけれども、多分「読者」には必要ないのだ、知性。馬鹿でいい。

地球上最後の一人の読者になってもファンでいますなんてのは無理な理屈で、読者が地球に一人だったらもうその本は出ないんだよな。ひしひしと感じてる。馬鹿でいいから布教せねばならない、打倒・聖書だ。我が愛する本は聖書よりも読まれなければならない…それくらいの心意気でいきたい(ものの例えであって宗教論争をおこしたいわけではないことを明記します)
肝に銘じようと、そう思うことがあったので、ここに備忘録として記しておく。

告知

あけましておめでとうございます。

 

数万年ぶりにホームページを更新しました。

水曜区

 

綾奈ゆにこさんと共有のnoteを開始しました。

ゆにこさめ|note

さらっと言っているけれども、緊張しています。いや、私から持ちかけたのですが…!(でも電光石火で綾奈さんが応じて下さってほんとに感謝しています)

百合や、百合でない話題も、日記や、日記でない創作も色々放り込んでいくゆるーい集合場所になればなと思っています。じわっと長く続けられるといいなって。宜しくお願い致します。

 

GirlsLoveFestivalSP3  JK同士百合ONLY「Lyceer Lilia Memoire」参加します。3/18です!

スペースはJ05「甘辛パラダイス」です。

百合オンリーイベント「Girls Love Festival SP3」

念願のGLfes初参加です。川崎なのでちょっと遠いかな。

百合展のあとに泊まりの予定にしたけどどこ行こうかなー的な余裕のある方は是非(どういう宣伝だ)。新刊はないですが何かペーパーとかもって行きたい…

 

今月中か来月くらいにもうひとつ新しい仕事始まるというか、記事掲載先がひとつ増えそうなのでしばらくはそちらを頑張ります。漫画、読むぞ。

あと、ずっとお蔵入りにしていた作品を引っ張り出してくるつもりです。それは五月とか六月くらいに積み上げていきたいな。

共有noteを所有したことで自分のnoteにも目が向いているので、ちゃんとそっちも更新します。

 

 

百合発行物まとめ

2017夏冬と発行した頒布物の販売経路整理のためにもご案内させていただきます。

 

2017夏のコミケット発行「ふじょ☆ゆり あのこにヒミツを知られたら」

豊田あしほは生徒会長。
生徒の手本となるために自分の『趣味』を隠していた。
ある日共通の趣味をもつ御剣蘭(みつるぎらん)にあっさり暴かれ本性を紐解かれてしまい、ついには恥ずかしいことを強いられるように。一方、蘭の前には不穏な青年と美少年の二人組があらわれて…!?
教師や不良やオタクたちを巻き込んで展開される腐女子×腐女子ガールズラブコメディ、開幕。

《委託・通販》

メロンブックス様(予約受付中。2月には通販開始されると思います)

www.melonbooks.co.jp

●COMICZIN様(現状、購入不可となっています…やがて再開されるのかも)

COMIC ZIN 通信販売/商品詳細 ふじょ☆ゆり あのこにヒミツを知られたら

電子書籍

kindle

 

ふじょ☆ゆり あのこにヒミツを知られたら: 本編

 2017冬のコミケット発行「愚図にトリセツは存在しない」

ある寒い夜に加湿器が壊れた。
私、佐藤みやびは問い合わせをひとりでこなし、修理依頼するために家電を梱包して家を出た。
扉を開いたらそこには高校生のときからの腐れ縁・白石いづるが待っていた。
白石は女性から女性へ渡り歩く性質の悪いレズビアン
女にふられて行くあてがないと転がり込んだ白石を追い返そうとするも、壊れた家電をきっかけに同居することになり…

春夏秋冬をめぐる季節家電と白石と『私』の同居生活。
実在の家電が登場します。

メロンブックス

www.melonbooks.co.jp

愚図にトリセツは存在しない

 

愚図にトリセツは存在しない

愚図にトリセツは存在しない

 

 

そんな感じで改めて2017年は二冊も同人誌を出したのでがんばりました。(生きているだけでえらい論法)いや実際腐女子百合の小説本は番外編もいれるとかなりの厚みなので大変だったのです。

これをふまえて2018年は職能百合の本を出したいと思っています。あるいは外道百合。

 

ところで「既婚者女性が少女と出会い一過性の百合では? と悩みながらも最終的には好きで好きで仕方なくなって特に悪者でもない夫と離婚する百合(なんかこう財産とか立場とかなげうつやつ。確かに社会通念上夫を愛していたから少女に信じてもらえず一度はふられて苦しむやつ)」を書くとツイッターで宣誓したのでそれをちまちま書いていくつもりです。

でもこれ脳内に白百合版と黒百合版とあって、とりあえず白百合版から書き出してみています…

slib.net

今年はもう少し書く時間がほしい。

もしお気に召す作品がありましたらkindleでレビューなどくださいますとおおいに喜びます。宜しくお願い致します。

「百合ナイト 第0回」にいってきました。

2017年1月14日、歌舞伎町ロフトプラスワンで開催された「百合ナイト」に参加してきました。

百合ナイト、大変充実した一晩でした。

行ってみましたところ、ガッチガチの安定百合オタイベントでした。

『百合ナイト 第0回』 – LOFT PROJECT SCHEDULE

 

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ざっとですが記録しておきます。

もう少し詳細に綴りたい気もしますが、概要を。

 

橘田いずみさんや小玉励さん、沼田誠也監督、淡乃晶さん、高橋みのりさんと森島明子先生、それぞれに百合に造詣が深く安心できるイベントでした。

冒頭で好きな百合を一冊紹介するのはいい構成だったと思います。

 

橘田さんの「百合が好きといってもなかなか語る機会がない」という気持ちがひしひしと伝わってきて、かなり共感。SMチックな百合が好きだったりと、思った以上にエロスに貪欲な方なのだなと感じられて面白かったです。こういう言い方は失礼なのかもしれませんが既知の百合愛好家と完全にノリが同じだった。なんだか友達の話を聞いているような既視感があり個人的に入りやすかったです。百合好きの共通点なのかもしれない…

 

森島先生の「女の子は好きって周囲にいえるけれどオタクだってあまり言えない」というお話、創作活動などをしている者として深く頷く一幕がありました。

百合そのものというよりも、妄想や創作ってそうだよね! と。

この一言、ひょろっと聞こえたワードだったんですが、百合関係なしに感動してしまった。

自分も百合や女子が好きと言うことはリアルに言いやすいのですが、創作活動を周囲に漏らすと引かれてしまうことがあります。リアルはいいけれども妄想はNGという恐らくは先生の学生時代(かな?)の青き悩みが伺えてぐっときた。現在でも学生などの若さだと創作活動していることは言いづらいという風潮はあると思うんですよ。いや大人でもプロでない限りはなかなか悩ましい。

ユリ熊や百合姫に関するコメントも伺えました。生命感のある明るい未来のある百合が好きといった心持を明かして下さって、漫画の通りにまっすぐで。今まで参加したトークイベントよりも好きなことに関する話題であるため、参加できて嬉しい、楽しいと仰っていたのが、百合ファンとしても嬉しく感じました。女子が女子のハートを射抜く、みたいな表現が好きというお話を幾原監督にされていたそうで、けれども恥ずかしいから秘密に…ということでお願いしたそうなのですがバリバリにアニメに活用されていて驚いたというお話がとてもレアでした。

ユリ熊の「射撃」っていうモチーフは、殺傷ではなく女子力(百合力)をあらわしていたんだなーと実感。そういう視点で考えると、ユリ熊への洞察がとても深まる。なるほど、鉄砲を持って追いかけてる姿は単に女子に恋する女子だったのか!?

「心臓を射抜く」というより「ハートを射抜く」だと仰っていて、確かに意味合いが大きく変ってくる。ユリ熊嵐、もう一度見直したくなりました。

 

沼田監督や小玉監督はそれぞれに百合アニメに関わっている方々で、けれどもアニメをあまり見ない自分は作品を拝見したことがなくてどんな感じだろうと思ってました。しかし。のっけから「harmoney」や「ダーティペア」や「ハスメド」などディープな百合のタイトルが飛び出してきたので、信頼感がすごかったです。ハスメドやダーティペアについてはもっと語って下さってもいいのに、と感じました。

ストパニミルキィホームズ、2018年になって今更かもしれませんが見てみようと強く感じました。信頼…!!

 

高橋みのりさんは作品のプレビューなども見せてくださいました。百合展やガレットの時から色使いが美しい百合写真を撮影される方と知っていたので、ご本人をお見受けできて幸いでした。写真家らしい控えめな方で撮影される写真のイメージそのままな雰囲気。美しい一枚の撮影裏で少女たちが自然に百合的な仕草を醸したと語られ、マニア垂涎の裏話でありがたさが凄かったです。

 

淡乃晶さんについて、今回最も興味をもってうかがった方でした。舞台で百合を演目としている方がいるということ自体、この百合ナイトで知りました。映像をちらりと見て内容を多少伺っただけでしたが、悲恋や「いやいや」なシチュが好きなかなりディープな百合好きなお方で、舞台に興味がわきました。DVD買ってしまったよ…

 

「百合なめんじゃねえ」というTシャツを宣伝しており、エポックメイキングだと思いました。買えばよかったな…と思ったら劇団fragment edgeさんの公式HPでトートバッグはまだ売ってらっしゃる。買おうかな。

fragmentedge.thebase.in

 

皆さんのそれぞれの百合への想いが溢れているのが伝わってきました。

途中「百合女子会」が入り、森島先生、橘田さん、高橋さんだけの三名で語る時間があり、とてもほのぼのした気持ちに。

最後に森島先生からは「百合は宇宙…みたいな話がもっとしたかった」というキーワードが出てきて、それが締めの言葉になって、しまいにはポーズまで決めることに。

ポーズがなかなか決まらず、けれども小指を絡める仕草によう、という森島先生の提案で決まったのですが、長年百合に携わってきた先生だからこそまろびでるポーズではないかと思いました。強い…強さがすごい…と感じました。

小指を絡める、というポーズは最高だし、百合の本質を本当に理解されていらっしゃる。最後の締めが「百合は宇宙」になろうとは誰が予想できたでしょう。

 

しかしロケーションがちょっと寒かったかな、という感じです。自由席であることを失念して末端の席になっちゃった自分が悪いんですけどね。何故かこの手のトークイベントはチェックが甘いときがあって端っこになりやすいのでもうそういう宿命なんだと思う。同じロフトなら阿佐ヶ谷とかのが嬉しいな…けれど去年「捏造トラップ」試写会も歌舞伎町でしたので、歌舞伎町にこうして百合カルチャーがじわっと根付くのも楽しいのかもしれません。

 

結論、オールナイトでもまた遊びに行きたい楽しいイベントでした。

またやってほしいなー!

 

 

活動概況

活動が散り散りになってきたので最近行ったことをまとめておきたいと思います。

ツイキャス「ゆりがたり」

大北紘子先生の作品について語らせて頂きました。

Live History - krkawwa - TwitCasting

放送後に大北先生から生の百合作品ネームを頂いてしまったりと今さらっと語ってるけどこれ大変なことだからな。大変なありがたきハピネスだからな。大変ありがたきハピネスに見舞われたので私は年を越すことが無事にできるのかどうか。シェパーズパースの奇跡を忘れない…

www.pixiv.net

みんな「楽園の神娘―クロリス―」を読んで。ほんと…イイから…

軽い口調でしか語れないのが口惜しいけど元百合姫で掲載されていた大北先生が今は講談社で連載している漫画が素晴らしい、誰かこの事態を解説してくれ。

 

楽園の神娘(1) (アフタヌーンKC)

楽園の神娘(1) (アフタヌーンKC)

 

 

「ゆりがたり」は好評だったので年明けにまたやります。新旧問わず語りたいものが色々。

百合キャスもコンスタントにやっていけたらいいけどな…

百合の話を聞いていたらいつの間にか全員篠北礼子のファンになっていたみたいなことにしてやるからな…そう、私はいずれ「やじきた学園道中記」とか語りたいんだ。いつの間にかそういうことになるよう洗脳してやるんだからな。(何もかも口に出すよ)

 

○Enty終了

同人誌リリースや過去作品のお蔵出しの場として大いに活用させていただいたのですが、2017年末をもちまして、続けていたシリーズ終了にあたり、きりがいいので一旦終了いたします。

既存会員の方に熱く御礼申上げます。詳細はEnty内にてご確認ください。

enty.jp

 

冬コミ参加します

新刊出しますよ。今回の表紙はあおい華葉様です。

「愚図にトリセツは存在しない」は実在家電の登場する百合短編連作小説です。

クズなレズと同居する羽目になったOLさんが季節ごとに家電のトラブルに見舞われたりその故障を修理したりなんかしていくうちに百合めいた何かが生まれるあれな小説です。140P/文庫サイズです。

www.pixiv.net

既刊は「ふじょ☆ゆり」です。表紙は水菜アナゴ様。

www.pixiv.net

www.pixiv.net

 

スペースはツイッターとかでチェックしてね。

こさめ@土曜東ア20b (@krkawwa) | Twitter

 

○noteで始めたマガジンがあります。

note.mu

マガジンそのものは無料だけどnote(ページごと)は有料みたいな感じになってしまったので割高感があるかもしれない…でも創作の秘密があるのであんまり無料にはできない。初回分はEnty有料会員向けにはリリース済みの内容なので既存会員の方はお気をつけ願います。内容まったく同じです。

 

 

 

2018年はkindleをメインに長めの百合小説を書いていきたい。

ひとつ、完全に網羅したい物語があるのです。そのための勉強が不足している。

長い長い物語を綴りたいです。記事もコラムも楽しいのですが、物語がやりたい。

がんばります。

 

 

 

 

 

 

ゆりがたり 大北紘子/大北真潤先生編 

神の作品について語ったら授かり物を受けた。

思いがけないことがあるもので、本当にそれは軽い気持ちからはじまった。軽い気持ちといっても実は重い気持ちが詰まっている言葉で、ふわふわ雲に浮いているようなつぶやきをしてみたのだ。

おおきたせんせいの百合を語りたいから週末にツイキャスしたい

— こさめ@土曜東ア20b (@krkawwa) 2017年12月8日

 

「青野君に触りたいから死にたい」(椎名うみ/講談社)みたいな口調で。
実は今年に入ってから百合に関する放送をニコニコなどでやらせっていただいたことがあった。それがそれなりに楽しくて、一回でいいからひとりでやってみたくなったのだ。いつどこでなにをどうすると具体的な概要を示さない本当にふわっとしたプランをつぶやいてみた。

ツイキャスなら手軽にできるのだ。
年内にやり残したことのひとつとして「大北紘子先生作品のよさを訴える」があったが、やりそびれていたのだ。心残りであったのだ。

大北紘子(おおきたひろこ)先生こと大北真潤(おおきたまひろ)先生の新しい単行本「楽園の神娘―クロリス―」が2018年1月5日に発売されるという啓示を得て、ますます年内に布教をしなければ…と思いを新たにしたつもりでつぶやいたのだ。

語るなら今だ…そう意を決してつぶやいてみた。


そうしたら神に声が届いた。

聞きに行きたい~

大北真潤 (@ohkita_mahiro) 2017年12月8日

 

このときの私の心境として、まず真っ先に「大北紘子先生って実在するのか」(アカウントをフォローはしているが実在性の疑わしい神威に満ちている側の神なので絶対に五感では認識できないはず)「今私のツイートを神が認知した」(下賎のもののふわっとした声をなんか更にふわっとリアクションした)「恐らく私の余命はもういくばくもない」(こんな幸運がありえるのか、神よ私はどんなものでもささげます)ということが思考されたのだが、とにかく頭が真っ白になった。
なんというかつまり昇天した。さようなら、みなさん。さようならでございます、地球様。そんな具合に草野心平の蛙が地球にわかれをつげる詩のような現実との乖離に至った。至るだろう。至らざるをえないだろう、これは。

よしんば神がリアクションしたとして、私の配信を聞いてくださるなんて…って聞いてみたいって仰っているな、人間にわかる言語で…と何度も疑わしい気持ちでこの信心の不足しながらも神の望むままの子羊としてその後も放送内容について具体化していくつぶやきを行ってみた。

とにかくふわっとしたつぶやきから始まってそのようなことが起こりえるはずはない。しかし神は私が具体的なことをつぶやくとその都度反応を、御RTや御拡散などの神威を発揮され、つまりなんというかありがたいご対応をくださる。何がどうなっているのか。

僭越ながら大北紘子神のことを作品とともに紹介する。
2011年から『コミック百合姫』(一迅社)で鮮烈にしてヴィヴィッド、鮮やかなる(すべてが重複用語だが本当にそうなんだ)デビューを果たされ、そのシビアな世界観と対照的な華やかな画風で少女たちの時に残酷とも言える物語、すなわち百合漫画を数多く掲載。

2012年6月に「裸足のキメラ」が刊行。
2013年6月に「月と泥」、2014年7月に「Vespa」が刊行されている。
これらの三作品は私にとって百合の教科書、教本。

つまりまあ、神なわけ。キレ気味にそう言いたい。

どこらへんが神かというと、旧来のSとか百合というのは客観視して鑑賞した時に鑑賞に耐えうる美しい少女が美しい少女と制服や校則の制約のなかでどうやって羽化するのか、という瞬間とともにその情愛を描いた(以下略)、一言であらわせば幻想的なものとして表現されることが多かった。
一方で百合姫というのはそこにどこかシステマティックな葛藤を入れたり一筋縄でいかない設定をしつらえたりもしてくれて、どこか新しさがあった。

大北先生の百合は完全に新しかった。鮮烈って五万回あらわしたい。

 

「月と泥」の帯にはこう記されている。「男なんてみんな死んじゃえばいい」と。
これは要するに男性排除の意思があるように見えて、今見ても過激なコピーだと感じる。
ここまで男性を排除する一文が帯に踊る百合作品は後にも先にもないのではないか。
例えば男性に隠れて、とか、男性を避ける、という秘密の香りに満ちていたその「秘密」こそが百合だというのが旧来の雰囲気だったものを、こうまで明るく闊達に排除を宣言した帯はほかにない。

この一句は恐らく売るために極端に作風を言い表し凝縮した宣伝文句そのものだろうとわかるのだが、この一句のために大北神作品をミサンドリーと同一視するレビューを見たことがあった。
ミサンドリーとは普通の男性をも嫌悪したり悪者扱いすることだと思うが、大北神作品の少女たちは男性を憎しみはしてもその相手には憎むべき素質がある。ミサンドリーの作品などではないのだ。普遍的な男性を男性というだけで憎むことをミサンドリーというのだが、そのような無分別な視点はどこにも一切微塵もない。

恐らくは彼女たちが怒ったり嘆いたりしていてそれが男性に向かうものとして描かれているので、そのように表現されたのだろう。
しかし先述の通りに彼女たちの怒りは相手が悪辣残酷で人生を踏みにじられているために生じる正当なものだ。
あれがミサンドリーなら週刊少年ジャンプ連載尾田栄一郎著の「ONEPIECE」はもうすごいミサンドリーだといわざるをえない。

では彼女たちの怒りはどこから生じどこへ向かうのか。
それは複雑な社会への怒りであり、けして男性排除や自らの関係の禁断性からの抑圧などではない。中には恋情などかけらも微塵も互いに抱いていない関係性も描かれている。彼女たちは手をとりあって逃げたり蔑みあったり罵ったりもするのだが、その怒りはけして恋情から生じる悲しみではない。

女であることへの不本意、その不自由への怒りだ。
けれどもその不自由は男なんて死ねばいいというだけで言い尽くせるほど短慮な憎悪ではないように思われる。
男だけではない。
愛されなかった者が女であるというだけで愛されなかった時に感じる憎悪はただ「男が憎い」というだけではない。
社会慣習が憎い、男が憎い、ともすると、自分を愛さないあなたが憎い、となる。
この憎しみを百合とあらわさずとして何とする。尊いというほかに何か言葉があるか。
たったひとつを愛する余りにその愛が得られないあまりに一切を憎む、大北紘子神作品では、その露骨な台詞も描線も輝く石のような目の表現も尊い

第一がこの素晴らしい絵の前に何か言うのも野暮だ。
恐らくはこの過激なコピーは「裸足のキメラ」収録「花々に似た蟲」の登場人物(凄く好きな人物です)の台詞「世界中の女たちは心の何処かで男はみんな消えちまえって思ってるわ…」をシンプルに整理しただけの惹句であったろう。

これはもしかしたらセパレイティスト、女性だけの世界を望む者の心境かもしれないが、「花々に似た蟲」を一読すれば、この台詞の憎しみの向かうところが男性といった世界の半分を占める生物だけに茫漠と向けられているだけではないのがわかる、はずだ。

紹介が長くなった。

とにかくそんな大北先生の作品をもう一度読みたいと思っていたところに新連載「楽園の神娘―クロリス―」が講談社「good! アフタヌーン」で開始されたというのだ。
ありがとう護国寺、ありがとう講談社

 

「楽園の神娘―クロリス―」の主役は男女コンビだ。しかし登場する敵役の少女たちにすべてに花の名がついている。植物モチーフの女の子たちなわけで…つまりまあなんというか待ち焦がれていた大北紘子先生の女の子たちがたくさん出る漫画だった。そして画面がすごく冴えている。そこには抑えられていた何かが爆発していた。

つまり百合だけでは表現されきっていなかった社会的視点とか大人の視点、学生の世界ではありえない俯瞰の視点があった。そこで少女たちが暴れまわっている。

過去作品のことを少し語ってみようか、とつぶやいてみるのも当然だ。
しかしてそれが神が聞いてくださるという。
私の語りを。

まじか、としか言えない。


いや、神の作品の魅力を語ろうと言うのを神そのものが聞くというのは私としてはありがたい一方で「プレイ」としか思えない。羞恥プレイの意だ。いやもう羞恥の領域を超えて懺悔では? 何の懺悔かはわからないけれども!
神への萌え、すなわち祈りを述べるわけだからその祈りをご本体が聞き届けるのは自然なことなのかもしれない。プレイというのは祈りという意味もあることだし…。

どう考えても僭越至極すぎて私の身に余る光栄すぎて緊張する。

しかし、聞いてくださるというのだ。これはまじめにやらないわけにいかない。
いや、最初からまじめにやるつもりだったけれども。

 

訴えたかったこととして、大北先生の百合作品の作風は「反転百合」ではないかということだ。
対極の立場にある女と女の視点や身分がある日突然反転する。
それまでの過程とそれからを描く緊密な場面の連続。
それを勝手に反転百合とあらわしたい。
そのことについて共感を得たい。
その一心を語ってみたかった。

既に三冊刊行された作品の作風には「現代もの」と「それ以外」があり、「それ以外」はいわばファンタジーやSFのテイストを含んでおり、そちらには長編にもなりうる要素のあることを、つまり百合を超えたエンターテイメントであることを訴えたかった。

それぞれの作品のタイトルを記しておく。

【月と泥】

月と泥 

六花にかくれて 

好きの海の底

しあわせにしてほしい

丘上の約束

鎖の斬手

鎖の少女たち


【裸足のキメラ】

裸足のキメラ

名もなき草の花の野に

欠け落ちて盗めるこころ

裸足のキメラ

はんぶんこ

花々に似た蟲

愛と仕事と金の話をしよう

この花がしおれるころに


【Vespa】

play:1

play:2

play:3

インソムニアガール

7年9ヶ月前の甘味

18日前の黒色

15年と6ヶ月前の秘密

以上、タイトルだけで詩が感じられることが伝わるだろうか。
これらを「現代もの」「それ以外」に大別して語ることにした。
いずれこれらはnoteでも大別して少しずつ綴っていきたいのだが。


しかし配信にあたりこれほど緊張しかないものなのだろうか、ツイキャスとは。
本当に神は降臨するのだろうか、ご視聴くださるのだろうか…と信者あるまじき疑念を抱かないわけでもなかった。
神を信じて殉教する聖者って本当になんていうかすごいなとも思った。だって自分なんかもうほんとまじドキドキしすぎて真っ先に疑ってるもの、どっきりじゃないかって。
でもこのアカウント本物だもの、大北先生だもの。でも、あの。でも、え、まじで。

そんな独言状態に陥りながらも私はバッテリーを購入し先生の作品を再読し観点を改めた。いいんだ、神が聞いていようとも粗相をしてしまうかもしれない緊張に既に失禁していても私は大北先生の作品について語りたい。それだけの一心だ。

震えながらも予告した日時にツイキャスを始めた。実際ツイキャスを行うのが初めてだ。何度も言うが緊張しかない。
部屋でなく近所のカラオケボックスで行うことにした。だが予定していた店はもう満員で(それはそうだ12月だ)、時間が大幅に押したし、最初の二十分はミュート状態で声が配信されていなかった。そのことを視聴者に指摘していただけて救われるほどのビギナーだった。こんな配信を神が聞いてくれるわけがない。むしろこれ聞かれたくないなというポカ具合だ。

本当にご降臨があるのか…という心持ちに至る以前にまずツイキャス初心者として単純に恥ずかしさと緊張があり、もうどうしようもなく不安を抱えつつ語りをすすめていった。

ツイキャスという放送は配信中にリスナーの方からアイコンをプレゼントしていただける仕様がある。
12月10日の20時16分、それは起きた。
ある方からケーキのアイコンが飛んできた。
それが…つまり…

それが大北先生からのケーキだった。

絶句しそうになったが、ツイキャスの性質上沈黙してはいけない。

先生からケーキが飛んだ途端、天変地異かというほどに心臓が高鳴り動揺するとともにカラオケボックスのBGMが途切れスマートフォンは電源消耗を知らせるアラームを鳴らし、もう本当大変な事態に陥った。

もう本当…

『今死んでもいい』と心から感じたわけで…

 

なんとかそれを配信し終えた夜、帰宅して、準備のために放置していた洗濯物をコインランドリーに運び、飯を食い、大きめのスーパー銭湯へ向かう道中、その中央線沿線沿いの酒場のすっかり減った夜道でも、泣かずにやりすごしたのは実感がなかったためだ。

結果としては本当に私と同じ大北神ファン、いやもう大北患者と呼べる連綿としたファンが集い、話を聞いてくださった。

それだけでも幸福なものを、大北神が降臨してくださった。しかし、あまりに理解を超えるためによくわかっていなかった。

けれども、帰宅して改めて録画を編集しツイッターアカウントをひらいたとき、先生からDMがきているのに気付き、そこにとても丁重な御礼のお言葉、過去作品に関する言及、そして未公開の完成されたネーム作品のデータリンクが貼られているのを見た時、そしてそのデータをダウンロードして拝読しているうちにそこにある物語の一切とそのラストがあまりに嬉しくて感激して私は泣き崩れた。

大北作品を語る上でその魅力としてラストの反転という点がある。
私の賜ったその作品のラスト、そこには私が今まで見たことのない「大北紘子」のラストがあった。
何故、これを私は百合姫誌上で読んでいないんだろうとも感じた。なんという報いだ、とも思った。
あの配信にこのような宝で報いて下さるほどに私は大きなことはしていない。
けれどもDMのメッセージを受けて先生が神でなく人間として創作者としてファンの声を受け取って下さったことをようやく五感で認めて感激した。


その作品についてはまた改めて語るが、そのネームは「シェパーズパース」というタイトルでピクシブにも公開されている作品だ。

www.pixiv.net

 

まるでタイムカプセルを開いたら本当は昔生まれたものなのに、真新しいメッセージを伴ってそこに存在していて、ものすごく新鮮なものとし眩しく映えた。

私の、いや、どんな人間でもそうだろうが、何かを「推す」とき。その「ファン」としての振る舞いは一種の現実から逸脱したいがための反動であるだろう。けれどもそれでもいいのだと思った。こんなありがたい宝物が賜る、その報いがあるなら。

こんなに遥かに頭上の天にある宝物であるはずなのに、今の自分に必要なものにしか見えない内容だった。不思議だ。あの大北先生の作品で確かにあの頃の大北先生の作品なのにまったく新しい。
狂おしいくらいの約束、いや誓いの物語だった。

私のほしい台詞がたくさん詰まっていて、どうしてわかるんだろう、という気がした。

好きというだけでなく共感を引きずり出されてそれはとても乱暴な力だけど不快でなくて心地いい。そういう作風、これが大北先生だ、と思い出して思い知った。

 嬉しい。それが嬉しい。

ここにあるその作品が嬉しくてならない。


私は不躾にも先生にこの作品の、あらすじについて語るお許しを頂いた。
次回配信ではその内容についてネタバレしない範囲でのあらすじと所感を述べさせていただくお許しをいただいた。
作品そのものの形成状況について、本当に本当に不躾ながら伺ってみたところ「いつか描くかも」とのことだった。
その「いつか」という三文字に私は夢をみてしまう。

しかし確かに新連載も応援したい。

なぜ大北先生は一人しかいないのか。

もはや患者になりそうだ、大北患者に。

ひとりだけで抱えておくには殺生だけれども、だからこそ嬉しくてだからこそ宝物で、もしかしたら「いつか」の到来なんかきてほしくない。独占したい。けれどそうなると誰ともわかちあえないわけで、殺生だ、先生…
そして、この殺生なところが間違いなくつまりはもうでもそういうところからもう本当にあの作品を築いている大北先生だと感じてしまった。

配信において「Vespa」「鎖の斬手」については語りたらないし、先生から頂いた「Vespa」に関する言及も語りたいし、第一が「裸足のキメラ」表題作についての語り漏れがあったので、もう一度私は場を設けようと思う。

  Live History - krkawwa - TwitCasting


神様っているんだな。クリスマスも近いことだし。そういえば「楽園の神娘―クロリス―」連載開始前に書泉グランデで「Vespa」初版を入手できたことも奇跡だった。

ここにおける神様って、なんかもう大北先生や講談社や未だ「Vespa」初版を置いていて下さったりした書店のことでもあるけど、今言ったのは本当に神様という意味での神様だ。

実際のところ「語り」を記そうとするともっと時間がかかるものを短縮して語りきれてしまうのだが、いずれ配信した内容はnoteなどでまた改めて作品ごとに少しずつ綴っていこうと思う。「ゆりがたり」も続けようと思う。

 

大北先生を、心から敬愛している。 好きでいて、良かった。

 

afternoon.moae.jp

  

楽園の神娘(1) (アフタヌーンKC)

楽園の神娘(1) (アフタヌーンKC)

 

 

裸足のキメラ (百合姫コミックス)

裸足のキメラ (百合姫コミックス)

 

 

Vespa (百合姫コミックス)

Vespa (百合姫コミックス)

 

 

 

月と泥 (百合姫コミックス)

月と泥 (百合姫コミックス)

 

 

「ふじょ☆ゆり」『死蔵』防止キャンペーン

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c93冬コミ当選したのでお知らせします。

12/30 東3ア20b「甘辛パラダイス」で参加予定です。
今回の新刊は大人の女子二人が同居してわちゃわちゃする百合です。
実在の家電が毎回登場する短編連作をカクヨムなどで綴っておりまして、それをまとめて発行する予定です。

kakuyomu.jp


既刊の「ふじょゆり。」と「ふじょ☆ゆり」も置きます。
「ふじょ☆ゆり」は腐女子腐女子のラブコメ百合ラノベです。
COMIC ZIN様で置いていただいています。

COMIC ZIN 通信販売/商品詳細 ふじょ☆ゆり あのこにヒミツを知られたら

この「ふじょ☆ゆり」、完売には至らずとも前回コミケ参加時に予想を上回る数で頒布させていただいたのですが、コメントやご感想がほぼ出てこない…理由は色々あるのかもしれないのですが、どうやら積読されているのではないかと作者的に危惧しています。
夏にこの本を入手してくださったかたは是非序盤だけでも…いや中盤の学園祭の場面くらいまで…いやいや…最後まで読了して、そして番外編も全部完全読了していただきたい。
そう考えました。
そこでキャンペーンのご登場です。(?)

当該作品「ふじょ☆ゆり」を読了してご感想をツイッターでつぶやいていただいた方は冬コミ当日の新刊「愚図にトリセツは存在しない」を100円割引させていただきます。
でもそんなに数いないかもしれないから先着5名まで!

冬コミ当日までに「#腐女子百合付箋」「#fjyr」というタグで「ふじょ☆ゆり」のご感想をつぶやいてくださった方を対象にします。

ちなみに既に1名ご感想を頂いているのですが(ありがとうございます!)プラスであと5名募集って感じです。

ちなみにこのキャンペーン参加時点で、そのコメントはハンドルネーム含めてコミケ当日にディスプレイとして活用させていただきます。(付箋に書いたりボードに貼ったりするなどの簡素なものですが)なので、もしもハンネ利用不可の場合はお聞かせ下さい。
この冊子は過去に無料で電子書籍として販売していたものでもあるので、夏コミ冊子入手していなくてもかまわないです。過去に既読の方は参加権利があります。

参加条件は…
冬コミ参加可能 ○
・読了しているとわかるコメント ○
冬コミ当日のディスプレイにハンネつきでコメントを用いてよい △(ハンネ利用不可の方はお知らせ下さい)
以上です。


もし当日までに5名に満たなかった場合はサークルスペースお立ち寄りの際にもその場で記入して参加していただけます。
なので、既読の方で冬の新刊入手検討頂いている方は是非ご活用いただけますと幸いです。

正直言って性善説に拠っているキャンペーンなので「面白かった」「楽しかった」という誰でもつぶやける一言だけ、などはナシでお願いします。
キャンペーンという以上は頒布を促進するようなコメント募集です。disやネガティブなコメントはキャンペーン対象外とします。すまん。個人的にはそうしたコメントもありがたく頂戴しますが、それはタグをつけずにリプライでくださればと思います!

あと普通にご感想くださる方は普通にリプライくださいますと幸いです!(引用RTとかしてしまうかもしれませんが)

まじめな話をしますが見も知らぬ素人の書いた長編小説を読了してくださる方ってあんまりいません。お手にとって下さるだけでありがたいです。


実は、複数の作品をカクヨムで更新していまして、アクセス状況を見ていて気付いたことがあります。
どんな作品でも読み手は最初の段階で半分は読者としては消えるのです。これはどんなヒット作品でもどうもそうであるようなのです。

まずこれが「ふじょ☆ゆり」のアクセス数。

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プロローグから第一章までは導入数多いですが第二章から半減しています。

(それでもプロローグ→第一章までの導入率の高さは異様に高い方だと自慢しておきますが)

そしてこれがカクヨム開闢直後、話題になりすぎてヤフーニュースにもなって受賞し既に出版されている「横浜駅SF」のアクセス数。

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知名度が高そうなので引用させていただきましたが、やはり第一話から第二話の移行で半減しているのです。しかしすげえアクセス数で心が折れるな…


初見で半分消える。

これがどうやらweb小説の法則です。でもこれ恐らくイラストでも漫画でも適用されるんじゃないかなー。導線の話。

まあとにかく、その半数が肝心です。

序盤を残った方はその時点で定着率が高いです。徐々に読み進めて下さる。

けれども、やはりページが進むにつれて読者人口は減っていきます。

何でかっていうと、つまらないと感じさせてしまうから。先が読めるから、キャラに魅力がない、展開として無理な一文があったから、など色々と原因は考えられるんですが単純に読み手が忙しくなったからとか、映画や漫画のが面白いとか、ツイッターのが面白いとかソシャゲやアニメのが面白いといった理由もあると思います。失恋したり恋愛したりして読書どころじゃなくなったとか、そもそも三次元の人生というコンテンツがあるからそれどころじゃなくなったとかな…

 

紙の本という時点で実はスマートフォンに色々と勝ちを譲っているのです、同人誌発行している時点で。私はそれを知っていたのですが、それでもこの作品を同人誌にしました。作品が長ければ長いほど読者が増える、というわけでもないのですが、この「最初で半分消える」法則は例え有料で入手されたものでもあてはまると思っています。

頒布数を明かすことはしませんが、夏コミでは持ち込み数の半分は人様の手に渡っています。けれども、その中で半数は読了されずにいてもおかしくないと感じています。
是非読んでいただきたい。

夏コミではサークルスペースにポスターやクロスを置きませんでした。
「ふじょ☆ゆり」は水菜様のおかげで表紙も挿絵も素晴らしいものとなっておりますが、私が頒布したものは「小説」なのでポスターやクロスを置くのはなんかずるい気がしたからです。
もちろん表紙に魅かれてくださった方もいると思いますが、夏コミの新刊はB6でもA5でもなく文庫サイズなので明らかに初見で中身は小説だとわかるようになっています。
初見で漫画だと思わせるのはなんか詐欺ではないかという気が以下略。

 

そういうディスプレイとサイズから絵的な要素がないにも関わらずお手にとってくださった時点で、それなりに表紙やあらすじを見てご興味もってくださった時点で、何か心にフィットするものがあるのではないかと思います。

小説と気付いてお手にとってくださった時点で、漫画やイラストにはない小説の魅力を知っているのではと思うのです。
そして、小説の魅力を少しでもあの作品から覚えていただければ幸いなので…是非、最後まで読んでいただきたい所存です。
『死蔵』されるのは避けたい。

もしツイッターでの参加が恥ずかしい方は当日スペースに付箋用意しておきますので! そして当日参加の場合は10名くらいまで枠を増やすかもしれない。

ご興味ある方におかれましては頭の隅に置いておいてくださいますと幸いです。
宜しくお願い致します!

 

※ちなみにサークルスペースでのキャンペーン適用時の本人確認方法は追ってお知らせします。