滅びなかったものたち ~10/18玄光社より発売 「百合の世界入門」に好きな百合作品を紹介する記事を寄稿しました~

この度、10月発売の「百合の世界入門」というムックにお招きいただきました!

 

百合の世界入門 « 書籍・ムック | 玄光社

 

本当に少しだけの文量だけれども、好きな百合作品について紹介記事を書かせていただきました。

これは嬉しいことでした。
「嬉しい」の内訳には色々あります。
まず、紙の本に関するご依頼であったこと。
それから。百合に関するご依頼でったこと。
漫画に関するご依頼であったこと。
そして、自分が好きな作品に恩返しができるということが、最大の「嬉しい」でした。

実はこのご依頼をいただいた時、担当の方からのメールネームが「百合」で統一されていまして。
たぶんメーリングリストなどを活用されていて、別の仕事とふりわけるためだったのでしょう。(この件を記すことは許可をいただいています)
ダイレクトに「百合」から依頼が来た、というようにも読み取れて。
「百合」からメールが来るたびに、「ああ…『百合』から認められている…」などと脳内で喜ぶ遊びをしていました。

文章がお目に留まるのは嬉しいです。
正直、自分なんぞよりも百合作品を知っている人はたくさんいらっしゃいます。
読書量では、かなわないです。
自分は、百合好き、というよりも、「レズビアンなので、百合漫画を読む」のです。それだけの素人です。
小さい女の子が「りぼん」を読んでいる、ような感覚なのです。

しかし、実際に、幼少期には百合の漫画はこんなにはありませんでした。
現在では「りぼん」にも「なかよし」にも百合の漫画が、それっぽい描写のあるものや、それそのもの、といった作品が「恋のひとつのかたち」として組み込まれるということがあって。
それを、どんな人気のある百合漫画の動向よりも興味深い、と思いつつも、怖くて読めないくらいに、焦がれる気持ちでその事実を眺めていて、そして、自分のときにそうだったらよかったと思いながらも、あとに続く人たちへの幸福を祝いたい気持ちで眺めている立場です。
読まないとな。
だから、百合好きか、と言われると、わからないです。
正直。
百合コンテンツの需要家としては、もう少し貪欲であるべきとも感じます。

ご依頼が嬉しすぎて、けれども何がきっかけかわからず、ライターつながりのどなたかが自分を推してくれたのかなあとも考えまして、情報解禁後にそれとなく報告をしてみたりもしたのですが。リアクションから鑑みるに、全然、そんなことはなかったのでした。十中八九、ニュースサイトで「百合展」の記事を書かせて頂いたこと。
それが大きかったのかな、と、思います。

 

そもそもが自分がブログやニュースサイトで記事を書くようになったきっかけは、どちらかというと百合作品を書いていたからです。
ライターをしようと思ったのは、今はもう亡きプロジェクトですが、講談社の「プロジェクトアマテラス」がきっかけでした。
知っている人は知っている、知らない人は全然知らない企画です。
現在はKADOKAWA×はてなが「カクヨム」という小説の投稿サイトを運営していて、そちらはお聞き及びの方もいるのではないかと思うのですが。
両方とも、つまり、要するに、小説のコンテストをオンラインで作品を読者に見せながら開催する、という大胆不敵な企画です。
で、私は2012-2013年頃にアマテラスに投稿をしていました。
元々十代の時から百合作品を書いていましたが、その時も百合作品を投稿しました。
一定数の書き手の方と仲良くしていただいたり、色々なスレッドでプロの編集者の方と対話させていただいたりしたのですが、まあ、作品は落ちたのです。

オンラインで公開されている状態での落選というものはなかなか過酷でした。ただ、プロの編集者の方とリアルタイムで対話できる機会は、かなり貴重でした。
そこで色々情報を調べたり、書いたりしているうちに、ふと自分のうちの「作家になりたい」というだけのこだわりが氷解しまして。
とりあえず、売文できるところを探そうと思うようになりました。
つまり。
要するに。
プロの人たちが求めているのは「作品」ではない。
「商品」だと気付いたのです。
お金になるもの。
生々しい言い方ですが、貨幣に変えられるもの、というものは、もう、作者のものですらない、ということに気付いたのです。
作品、ではない。
商品です。
何度も投稿している人なら、ある程度進むと、気付くことです。

そこに一旦は失望する。つまり、かわいいわが子であるところの「作品」を「売る」なんて! という、矛盾が出てくる。自分は「作家」になりたい。けれどもわが子は「作品」のままにしておきたい。これを叶えるのは。
この二つを叶えるのは、選ばれた人だけかな。という、それまで薄々気付いていたことに直面しました。で、選ばれた人であろうとするよりは、早々と失望と諦念を乗り越えて転身した方がいいかな、ということを思いました。

 

作品を売ろうとせずに、売れるものなら何でも書こう、という修行のような気持ちで、「作品」以外を書くようになったのです。この選択肢は、結局、「作品の商品化」を拒む流れでもあるのですが。まず、自分は、「商品」をひとつも作ったことがないことに気付いたのです。「作品」は作ってきたのです。たくさん。それはいいんです。そして、誰も「作品の商品化」なんて望んでいない。ここまでは自然。

ただ。
実は出版社側もそんな残酷なことはしない。素人の作品を「商品」に仕立て上げる、なんてことは。まず、そんな過酷なことは素人には強いないし、そして、「作品」を選ぶなんていう余裕はないのだ、ということを知りました。最初から「商品」としてあらわれたものだけを、売るのです。たくさん積み上げてきたものが、ひとつも「商品」でなかったと気付いたとき、「商品」を作る練習からはじめなければなりませんでした。

創作ではなくて、文章の商品化、ということからはじめたのです。

このあたりは語ると長くなるのですが、猫の電子書籍を元手に、ニュースサイトのガジェット通信さんに週末ライターとして応募しました。記事を寄稿して掲載されるようになるまでは、それほど時間はかからず、ここまでの段階は、わりと、案外、誰でも、クリアできるような気がします。ガジェットさんでは常時ライター募集、なので。
本当に間口は広いのです。

ただ、誰でもできることとしても、本当にやる、ということは違うということを覚えました。かなりゆるく、けれども時には険しく、とにかく実質的、現実的に文章の商品化、ということ学びました。

 

で、2-3年も続けていまして、今でも楽しく書かせていただくことはあるのですが(最近は開店休業状態ですが)、やはり、こんなことしていていいのか? 記者になりたいのか、自分は、という考えも生じるようになりました。

作者になりたいんじゃないのか? と。

けれども、以前とは全然違う気持ちで「作者」になりたいと感じるようになりました。

 

昨年の秋から今年の年明けにかけて、尊敬している方にお会いする機会がありまして。

御一方は、イラストレーターの青山みるく先生。もう御一方は、京極夏彦先生です。
会うと言ってももちろん、トークイベントやワークショップに参加する、という大多数の一人として、です。青山みるく先生は、幼い頃に愛読したサンリオの発行誌「いちご新聞」の紙面を飾る愛らしいイラストで著名な通称「みるくちゃん」。

京極夏彦先生は、言わずと知れた妖怪をモチーフとした推理小説作家です。

実はこの時期、ほかにも色々のイベントに足を運んで、ドナルド・キーンさん(今考えてもレアすぎるイベントでした)など、著名人のお話を伺って記事にするということをしていたのですが、この時期、このお二方、とにかく創作者として根源的な尊敬を抱いている方々のイベントに参加できたというのは物凄い体験でした。

一方はファンタスティックでガーリィでファンシーなイラストレーター。
もう一方は時にはグロテスクな描写もいとわない小説家、ということで、まったく共通点がないようですが、あったのです。直接、お話を伺って、思い返して、共通していた点。それは。

 

「好きなことには懸命になれ」という姿勢でした。

 

いや、お二方が異口同音に声をそろえてこういう言葉をおっしゃったわけではないのです。その姿勢を感じた経緯をつまびらかにするとかなり長い話になるの割愛します。

好きなものに関しては、急ぐことを厭わない、素直に、ぶつかっていく、ということの大切さを間近でお話に聞き入っているうちに肌で感じまして。

自分の趣味が大々的に記事に反映されるものではないということを元々感じていた時に、確かにそれこそが「文章の商品化」ということであると知りながらも、少しだけ自由になりたいと感じるようになりました。

 

「文章の商品化」それはよろしい。
それが少しだけ身についた、それでよろしいのです。
無理に商品化の看板を下ろす必要はないのですが、もう少し自在になりたいと思いました。少しだけ、方向性を変えるようになってきました、というか実際ほんとに変えざるをえなくなったというのもあります。その、少しだけの方向転換、というものの根底に尊敬している方々から(勝手に)受け取ったメッセージがあるのは、本当です。

 

まず、LGBTポータルサイトの「FREE!!」さんで、コラムの場をお借りして、レズビアンとしての自分を明かすようになりました。加えて、「百合」に関する記述をnoteで始めるようになりました。百合記事そのものは、まだ、数点、ほどしか書いていないのですが、とにかくきちんと自分の言葉で語ることを始めました。

その矢先、というほどではないのですが。

ここに至り、百合に関するこの度のお声がけをいただいたので、つまり浮かれています。


ガジェット通信で百合展の記事を書いているので、そちらがきっかけなのかもしれません。今回のお誘いのきっかけが、正直、何であったのか、自分ではわからない状態なのですが。ほんとにそうだ、と思いました。「好きなものには懸命にならないといけない」です。

 

青山みるく先生は仰っていました。
「好きな人ができるとすぐに会いにいっちゃう!」と。これは恋の話ではなく、憧れのクリエーターさんについてのお話を伺った時のお返事の一部です。
京極先生は仰っていました。「取材している暇なんかないんだから」
京極先生は、執筆前に取材をしている暇はない、という、これは本当にそのままのお言葉です。脳内の構成だけであれだけの長編を書かれる御方らしい発言ですが、つまりなんというか京極先生の場合は依頼がたくさんありすぎてその暇がないという意味も含まれるのではないかとも思うのですが。ただ、あわせて語られていた京極先生の敬愛する水木先生のお言葉として「一生懸命にならないとギロチン」という言葉をおっしゃられていたので(「あの人はすぐギロチンといいますからね」といった調子で)、そこから勝手にあわせて汲み取ったメッセージでもある、のですが。

彼らが作るものは商品ではあるのですが、商品も必ず作品であることが前提されるのではなかったのか、と、最近は思います。

 

百合に関するレビューを、もう少し、続けてみようと思います。

愛好家と名乗るのはおこがましいですが、愛しているのは確かだし、自分は確かに百合の需要家の一人です。

折しもキンドルでアンリミテッドがはじまるタイミングにあわせて、百合作品の電子書籍化も着手しているので今年は本当に百合三昧で幸せです。好きなことについて語りだした途端にお声がかかったのは、幸いです。

 

昨今、百合は支持を得ているということ。

それ自体についても驚きを感じていて、まず、思春期の自分が世の中の現在の百合の氾濫を見たら涙するはず。教えてあげたいです。

 

LGBTという言葉が世間に流布されるようになったのは、ここ数年。

特に2015年、2016年になってからぐっと認知度があがりました。
私個人はもう今年でそれなりの年齢にあがってしまったわけで、そして、本当はもっと百合作品を読みたいと思いながらも、心理的にできずにいたわけで、今回のお声がけ、(しかも百合の手引書への!) をいただいて、何かこう許されたような気持になりました。

よかったな、自分も、いていいんだな、と思いました。
クローゼットの暗いオタクのレズビアンも、きらきらした百合作品を読んでいいのかな? と。これは皮肉ではないしそのままに受け取ってほしいのですが、もっと早くこの百合文化の氾濫に遭遇したかったという悔しさがあるのです。
もっと早く…
それは、年を重ねるにつれ、誰もが下の世代に対して感じる憧憬なのかもしれませんが、今、このタイミングで「百合」を紐解いていってもいいんだなあと。

ひとつのマスターキーを与えられたような気になりました。

実際自分が今の時代を14歳としてすごしていたとしても、「百合作品」に少しでも興味を示したらレズだと思われてしまうのではないか? バレてしまうのではないか? という、私の実際の思春期とは全然別の悩みが生じていたのではないかとも思うので。

 

私は百合を読み書きします。百合を愛するか、というと、わからない。いや、もちろん、愛してます。けれども、そうでなくて、なんというか、百合はもう必要だったんだ、という話でした。

実際、多読家ではないので、知っている限りの作品についてしか語れなかったのを憾みとします。けれど、実は、このご依頼をいただいた時、無理して「最近の」百合作品を通読してからとりかかろうかとも迷ったことを白状しておきます。

それは、致しませんでした。
それは嘘だからです。

私が選んだ本は、きっとこのムックのなかではかなり古い部類に入ることでしょう。昨今の作品に比べれば百合であるかどうかすら疑問を感じる方もいるかもしれません。

けれども自分の属する分類の名前が「都市伝説」とすら扱われていた時代に、苦し紛れに掴んだ藁のような色褪せない清新な鮮やかな作品群、希望、みたいなものであったことを予め伝えておきます。紙面を頂きながら申し訳ないのですが自己満足なのであんまり参考にならないかもしれないということをお断りしておきます。

これをきっかけに、これから、平成以降の長いブランクを埋めるべく百合作品を少しずつ読んでいこうと思いました。そんな寡黙を保ってしまったのを恥ずかしいとも思うのですが、本当にね。

 

白状をするなら、うかうかしている間に百合がたくさん出版されすぎてどれから読んでいいのかわからない飽和状態に陥っているのも私の現実です。寄稿が先立ちましたが、読者としては初心者状態なのでありがたい! という気持ちです。

紹介させたいただいた作品については、不正直にならずに、素直に、この先自分がどんな作品をどれだけ読んでも不朽に愛するだろう作品として紹介したので。
完全に「自分の」好みですが、依頼自体にはっきり「自分なりの」好きなものを、という言葉が含まれていたので思いきりました。それが、もしかしたら私と同じ世代の、本当は私と同じ気質を保ちながら不透明化されていたがために主婦になってしまったかつてのお嬢さん、とか。一定数、今でも不透明化のなかで生きている人たちの目に留まったらいいな。


作品そのものはジェンダー観が今より古いとしても素晴らしいものばかりなので。
そこは保証します。

そして、紹介しきれなかった作品のレビューは、ここやnoteでつづっていきます。誰に求められなくても、私が、勝手に、そうしたいがために、です。 

 

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