読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

カムアウト

年賀状のことを話します。

去年、いやもう一昨年の話になるのですが私は近しい方々に改めてのカムアウトっていうものを行いました。

職場や家族など実生活に深くかかわる相手ではなく、いわゆる友人界隈です。

といっても友人は本当にもともと少ないのですが。

家族は皆もう私の性癖を知っているので必要がない。

カムアウトしたというよりも、高校のときに同級生への恋心が隠しきれなくなってその女の子が好きだと話してしまったことがあったのです。なんといいましょうかカムアウトというよりレズバレです。

そのままずるずる生きてきていて結婚もせずにいるので、親や兄弟は、あ、本当なんだな…とじわじわきて認知している状態、という現状です。

認可しているかどうかは知らないのですが。

 

職場では過去にカムしてみたらアウティング(言いふらし)の憂き目にあって、まあ色々あったのであんまり言わないことにしています。

じゃあ何で誰にカムアウトしたかといいますと、LINEなるものを始めてみたのです。

当然アドレス帳に入っている旧知の友人とはつながりが復活したわけで、そんときにちょろっとプロフに書いてみたんですね。

レズですって。

 

反応があった人もなかった人もいたんですが、中学からの同級生からすぐにメッセージが届いて、「何、レズって。本当?」というようなリアクションでした。そうだよーと返答。中学のときは××が好きだったよ、と親友の名をあげると「ふーん、まあ気にしないけど」とのこと。

反応があったのはその人だけだったので、まあそんなもんかなーと放置。

そもそもがあまりLINEを利用しないのです。

 

しかし年明けに「ある反応」がありました。

高校のときに同級で同じ部活だった友人からの年賀状です。

年賀状が届いたのはいいのですが、お定まりのプリント以外にメッセージが一言もない。

確かにもうほとんど赤の他人というくらい離れていたのですが、従来ならいつもペンで手書きで何か一言あったのに…

うわー、こわ。

なんだこれ、いっそ年賀状がこない方がよかった…と思いました。

これがカムアウトの影響かはわからないんですけれどもね。

あるいは手違いかもしれないのですが。

実は高校のときにほんのり恋心を抱いてもいたのですが、当時から彼女は男が好きで彼氏もいたので、まあいいかという感じでした。

 

そして2016年、もうひとり失ったことを年賀状で知りました(移転先宛所尋ねあたらず) しかしこれはカムアウトの影響であるかどうかは判断がつきにくい。2014年には明かしていたわけで。でも考えたら2015年の時点で彼女は年賀状の返事がなかったんですよね。

ただ、依然として年賀状くれて友情を続けてくれる友達もいるわけです。そのうちの一人はめでたく結婚した! と報告してくれましたし、もう一人は同窓会あるみたいだよーという情報をくれました。

 

何となく安堵した2016年のスタートです。

 

実は私はカムアウトは絶対に一生するものではない、できない、と思っていました。十代をすごした1980-1990年代、特に前半はエイズウィルスが猛威をふるい、同性愛者への偏見が露呈された時代でした。そして幼女連続誘拐殺人など異常な「性癖」の凶悪事件が生じてバブルの影で私は自分のオタク属性と同性愛属性とマスコミや世間の冷たい視点を照らし合わせて、絶対に隠していこうと誓ったのです。

 

その当時から好きな女の子はいましたが(というか幼稚園から常にいた)、大好きな人を不幸にしないためには告白してはいけないとしか思えませんでした。

けれどインターネットが広まり、携帯を通じて私はあるトランスジェンダーの人と知り合って人生観がひとつかわるような観点を教授されました。それからしばらくしてある失恋を経て、自分の性的指向を自覚するだけでなくきちんと認めよう、受け入れようという気分になってきたのです。

それはイコール、カムアウトして生きていくという気分からは程遠いものでした。

けれども明るいものでした。

百合アニメや漫画が世間に浸透してきたことも、ひとつの大きな動きでした。

 

2015年は本当にレズビアンにとって革新的な年でした。

同性パートナーシップ条例の実施。

賛否両論とは思われますが、この条例の画期的な点はまずレズビアンやゲイなどの同性愛者の実在性、行政に対する可視化を行った点にあります。

パートナーシップを認める、偏見をなくすこの条例が不文律のうちに果たしている最大の役割はそこにあると考えます。

 

つまり、神話や都市伝説、ミステリーのオチに使われていただけのレズビアンが市民権を得ること!

悲しいかな、ヘテロへの度重なる失恋により相手を探す気力を失いつつあり、けれど次に探すならレズビアンを自覚している相手にしよう…と考えはじめていた私です。

けれど、相手を探していいんだ…と考えはじめていたので、このニュースは心理的に楽園をもたらしてくれるものでした。

2013年に東小雪さんが同性同士の結婚式をディズニーリゾートで行ったことも強く私を励ましてくれました。その時期は欧米各国で同性婚合法化の動きが出てきたので記事としても書かせて頂きました。

 

getnews.jp

 

打ち明けてみると、いろんな反応があるわけです。

信じて、友達にいるよと言ってくれるひとも、そうなんだ…と深刻な顔をしてくれる人。けれど、内心でビアンなんてなーいさ、レーズなんてうーそさ、と笑っている人もいるわけです。それは後からの態度でわかるんです。例えばレズだといっているのに、私がある男を好きらしいという噂を流されたりね(そして急にその男から付きまとわれるようになっておかしいなと思って後で事態を知るなど)。そういうことをする時点でもしかしたら信じた上での嫌悪感なのかもしれないけれども。

 

いや、いいんですよ。差別や憎悪が怖いんじゃないんです。

信じてもらえない、透明な存在としてそこにいなければいけない、自分の好みの指向。それが悲しいんです。無視したい気持ちはすごくわかる。

何故なら自分がまず無視してきたからです、女しか好きじゃないって気持ちを。

けれどそれを後押ししてくれるものが、例えば『百合文化』だけだったら心細いわけです。二丁目や六本木のクラブにでも行けばリアで充なレズビアンはたくさんいるのも知っているのですが、こんな腹肉を備えた踊れない酒嫌いのオタクが行けたものではない。

けれど、2013年の各国の同姓婚合法化の動きを見始めた頃から、これは日本でも五十年後にはかなうかもしれないなーと思うようになりました。

何故そんなに長く見積もっていたかというと、それは今リアルタイムで政治家をしている方々の不用意な発言が取りざたされている記事を御覧いただければわかると思います。政治や法律がかわるまではまだ時間がかかるだろうと見積もっていた。

けれど自治体レベルで動きがあってそれが施行されたのは嬉しいことでした。

オリンピックや経済事情に後押しされていると承知ではあるんですけれどね。

嘘でも綺麗ごとでもいい。

それが藁でも虚構でもすがりたい。ありがたいことでした。

 

けれど法律や教科書は人間の心に響かないんです。学級会で優等生が「同性愛者の偏見をなくして権利を認めましょう」といっても、余計にいじめっ子の反感を買うことだってあるわけです。

2015年のもうひとつ画期的だったところは、レズビアンを主題としたドラマが数多く放映されたことです。いやあ、恥ずかしながら部屋にテレビがないので、見てないんですけど。すいません。

でも、これでがらっと世間の雰囲気が変わった、ような気がする。

それを私はなんとなく疎遠になりつつあるけれども学生時代親しくしていた人たちからの年賀状から感じたのです。文面や何かから。

 

幼い頃は無邪気にレズを謳歌していました。ある意味では幼稚園からでした。

同じ組の女の子みんなに『友達になろう』と声をかけていました。女の子が大好きでした。けれど当時から男の子が好きな女の子はいたわけで、それが苦しかった。大好きな女の先生が結婚すると聞かされて、父も母もそれをしたがために毎日喧嘩しているあの『結婚』とやらをすると聞いて世の中の制度の残酷さに打ちのめされてもおりました。

小学校に入り3.4年のあたりから更にみんなの様子が変わっていった。

アイドルや好きな男子の話を露骨な話題とするようになっていった。

中学校にあがると更に具体的に告白だのデートするだのといった行動になりかわっていった。その折に私はもう好きな女の子ができても、内心で否定しながら友達として仲良くすることだけに専心していました。

高校を卒業してから、初めて好きな女の子に告白をしました。家族バレしたのもその時期でした。けれど私は怖くて怖くて自分から逃げてしまった。

 

歯を食いしばって自分の恋愛の前に立ちふさがる何かの前に涙する。

そういう迷妄さは性格なんだと今ではしっかりわかってます。

指向、性癖のせいではない。

 

社会からの後押しがなくてもきちんと道を切り開く人たちはいる。

けれども中には私よりも深い暗がりに落ちて死んでしまったり精神的に自分を殺して男性と結婚した人も大勢いるわけです。

私は結婚はできない、ということだけははっきりしていました。

無理だからです。

私も大概意思が弱いのでお付き合いをした異性もいましたが、その相手の無防備な寝顔を見て感じる安堵や愛情なんてものを感じたことがなく、その男性らしい額を見ていると好きな女の子のあどけない額に比較してしまってひたすら悲しくなるだけ。

 

子供はほしいけど結婚はできない、ということはもうわかっていました。男性と結ばれてできた子なんて虐待してしまうかもしれない。男の子ができたら、尚更かもしれない。私は男性を恐怖することはないのですが、はっきりと個人的に憎悪すると加減がきかないくらいの嫌悪を抱くことがあるからです。そうして小さい頃に兄や小さい男の子らから受けたからかいやいじめなどを想起して、何の罪もない実の子をいじめてしまうかもしれない。これは同性愛とは別の問題ですが、ある意味では私の同性愛者としての気質がそういういじめを招いたのかもしれないとも今ではわかります。

いずれにしろ同性愛者にとっての異性との結婚とは異種婚姻譚のような奇跡。男性が嫌悪されるというのではなくて、ありえないことです。

ただ、お付き合いはできていたので、当時のセクシャルマイノリティの師匠のようだった人からは「おぬしはバイ」と断言されていたので、ここまで書いておきながら何ですが確かに先天的にバイセクシャル的な要素もあったのかもしれません。

けれど後天的に自分はレズビアンです。そして今ではそちらの気質が確固たるものとしてここにある。

だからといって活動的に何かをするわけでもなかった。

ただ、黙ることだけが良心だと思っていた。

 

それが変化したのはネットのおかげかもしれない。まずこれは本当に大きいのですがインターネットのおかげで本来の自分として発言できる場が増えていき、否定的な気分がどんどん失われていった。

中学校の時に強く自分が親友を愛してると思ったとき、一生秘密にしようと誓いながら自殺だけはしないでおこうと考えていたことを覚えています。彼女が理由を知ったら悲しい。彼女と結婚できず彼女が結婚しても私は長生きしようと。

これはもう思春期の恋の恐るべき威力と呼べるもので、呪いに近い。

実際私は彼女に関してはその通りに彼女が結婚するまで、いや今も秘密を守り抜いてしまっている。結婚式では祝福したしそして今でも幸せであることを願って祈っている。

正直へテロの女に恋をして恨まずにいつまでもこんな清新な気分でいられるのは彼女きりかもしれません。幼かったからではなく、彼女がそうさせる健全な相手だったからです。もっと幼い頃に好きになった相手にすら、実際いろんないやな気持ちをもつこともあったので。

もちろん恋として実ってはいないのですが、私が希望を失わずにいたのはその時期好きな相手を間違えなかったおかげです。もっといやらしい女、ひどい女、人を利用する心が少しでもある相手を思春期に好きになってしまったら何かがだめになっていた。

いや実際十代は彼女への片恋が忘れられず苦しみがあったのですが、それはそれとして。

 

その時期はバブルで世間は最悪だったのですが、将来の日本が現在のアメリカの姿といわれていることを新聞か何かで知ったので、死ぬほど悲観してはいけないということだけは覚えていたのです。将来の日本が銃社会になるなら怖いことですが、あんな混沌とした国が将来の日本のお手本ならきっと同性愛もいつか認知される日が来るだろうと。

振り返ってみて賢い中学生だったなと思う。自画自賛。

というか、それくらい必死だった。賢くあらねばならなかった。

今の私には欠片もない理性で生き延びてくれてありがとう、と言いたい。

それから今はこんな時代になったんだよと知らせたい。

ずたずたに失恋ばかりしてとても今は恋愛する気力がないのは本当だけれど、苛烈に恋をして悩んでいた自分の励みになるんじゃないだろうか。

そして黙ってばかりでなくてもいい、大人になったら少しは話してみる気にもなっているよと言いたい。そのあとの反応で傷つくこともあったのですが。

けれど、本当の友人がわかるという意味もやっぱりカムアウトはするのがいいのかもしれない。

年賀状を前になんとなくそんなことを思いました。

 

もう少し甲斐性を身につけたいなあ、それが今年の目標かもしれない。